清水寺の龍のお祭り「青龍会」

金澤成保 

 

 

 京都東山清水寺では、春に続き9月15日に、青龍がその境内と門前町を巡行する「青龍会」(せいりゅうえ)のお祭りがおこなわれた。身体をくねらせながら舞う18mにおよぶ青龍と、装束に身をつつんだ50名ほどの会衆の巡行は、迫真に迫って龍の存在をイメージさせ、古の信仰と祭を想像させるに充分な迫力があった。

 

 その背景には、青龍や装束の高い芸術性荘厳さにあると想える。それらのデザインは、黒澤明監督の『乱』の衣装デザインでアカデミー賞を授与されたワダ・エミによってなされ、高い技術を有する京都の伝統工芸の職人たちの手によって仕上げられたことが大きい。龍の頭部などには、経文が書き込まれた和紙が覆い、観音菩薩が化身した青龍の姿を表している。

 

 「青龍会」のお祭りは、14時に奥の院で、会衆の「南無観音」の唱和と青龍による参拝で始まり、音羽の瀧から西門門前町へ一行が巡航し、もどって仁王門から16時前に本堂に至って終わる。地主神社が修繕のため閉鎖されていることから、地主神社への巡行は省かれている。

 

 なぜ清水寺で、龍のお祭りがもようされるのか?京都は、「四神相応」の吉相繁栄の地といわれる。桓武天皇の平安京遷都以来1100年にわたって、我が国の都であり続けたことが、そのことの証であるといわれる。「四神相応」説では、北の山々に玄武、南の大池に朱雀、西の大道に白虎、東の流水に青龍といわれ、音羽の瀧から絶え間なく清水があふれる東山の清水寺には、龍が棲息するとみなされてきた。

 

 清水寺の鎮守社だった地主神社の拝殿の鏡天井には、狩野元信によって描かれた丸龍がいるが、音羽の瀧に夜ごと飛来して水を飲むといわれ、動かぬように目を釘で打ちつけられたという伝説がある。また、清水寺の奥の院・南脇堂に祀られる夜叉神が青龍と本尊を守り、人々の悪縁を絶って、良縁を結ぶ神とされていることが、地元の商店会である「清水寺門前会」によって「青龍会」がおこなわれる理由となった。

 

 会奉行の指揮のもと、転法衆が法螺貝を吹いて行道の先布令をおこない、大般若経を守護する十六善神たちが「南無観音」を唱和して続き、観音加持を司る夜叉神が、人々の厄除・招福を祈願しながら、ともに行道する。これらの会衆と青龍を守護するため、持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王が同道する。その後を龍衆たちが、観音様の化身である青龍を捧げて練り歩く。「青龍会」の壮麗な巡行に感激し、功徳をいただいた1日であった。