清水寺 のご本尊と「千日詣り 」

金澤成保 

 

 

 「千日詣り」をすると、その日の参詣が1000日分の功徳に相当するとされている。京都東山の清水寺では、「千日詣り」が観音信仰の広まりとともに誕生し、ご本尊の観音さまの功徳日となって広く人気を集めた。平安時代には、紫式部や清少納言も参ったといわれる。観音さまが、大慈大悲の心であらゆる願いや悩みに耳を傾け、その苦厄を取り除くと古くから信仰されている(京都の愛宕神社や大阪の四天王寺などの「千日詣り」も有名)。

 

 清水寺では、毎年8月の9日、10日からお盆の16日までが「千日詣り」の大功徳日として、普段入れない内々陣の側まで入って参拝でき、「千日詣り」のお札が授与される。14~16日には、法要もおこなわれ、夜間の参詣「宵詣り」もできる(この間、清水寺門前から三年坂、二年坂にかけては「露地行灯」でライトアップがされる)。拝観料は、普段と同じく400円。

 

 本堂へと向かう回廊では、南部風鈴がたくさん吊るされており、風になびいて時折涼しい音を響かせてくれる。「千日詣り」の入口に並び、靴を脱いで順に本堂内に入る(写真撮影は禁止)。堂内は、内陣外陣が区分され、秘仏のご本尊・十一面千手観音菩薩立像と、地蔵菩薩像毘沙門天像の三体は内々陣の厨子内に安置されている。厨子の扉は、33年に一度開帳される。その姿を自在に変化させ「三十三身して衆生を救う」とした観音経に記された観音菩薩の功徳に由来する。次回の開帳は、2033年である。

 


 昼なお暗い堂内を、灯明の灯りに助けられながら裏側より内陣を一周する。内陣より先は仏様の世界であり、荘厳な仏具が配され、漆金箔を施した柱で内陣との境界となり、現世とはっきりと異なる空間とされている。内陣から先には、特別な法要でもないかぎり、僧侶であっても自由に立ち入ることができない(堂内・仏様の写真撮影は禁止のため、以下、清水寺HPより引用させていただいた)。

 

 正面に回ると、「前立仏」(お前立ち)と風神・雷神像に、十一面千手観音菩薩の眷属である二十八部衆と拝観することになる。わずかな明かりの中に荘厳な仏の世界が立ち現れ、思わず手を合わせた。「前立仏」は、本尊と同じ姿の縮尺仏でひと回り小さく、漆箔で仕上げられている。 十一面千手観音立像は、四十二の手と、十一の表情をもって一切衆生を救おうとするお姿を表している。

 

 清水寺の解説によれば、十一面千手観音像が正面で合掌する真手のほか、数珠や宝鏡、宝弓などの持物を持った四十の手にはそれぞれ25の法力が宿るとされ、40×25で千手をあらわしている。「」とは無量・無限を意味し、観音の大悲利他があらゆる方法を使い、どの方面へも行き届くことを指しているとしている。

 

 十一面の表情には、優しげな本面と頂上面に加え、前方には穏やかな慈悲三面、後部には大笑面があり、いずれも観音さまの慈愛をあらわしている。また、右方の狗牙上出三面はむき出しの牙を、左方の瞋怒三面は激怒の表情を見せているが、いずれも衆生の悪行を改めさせ、努力する者を励ます意味があるとしている。十一面千手観音像に、一度ならず何回か合掌しお祈りさせていただいた。

 

 以前、このブログで「秀吉の墓所、豊国廟」、「霊山と葬送の地を臨む清水寺」をご紹介した。霊山とは、阿弥陀仏が祀られ、豊臣秀吉の墓所のある阿弥陀ヶ峰である。清水寺の「舞台」から南方に見える、三重塔(「子安の塔」)の尖塔が指し示す阿弥陀ヶ峰の秀麗な山形を、最後にご覧ください。