道真の「荒御魂」を鎮める北野天満宮

 

金澤成保 

神の使い、牛の像

 天満宮・天神社には、神の使いとして牛の像が奉納されている。ご祭神である菅原道真公が、牛と深いご縁があるためである。生まれ年が、丑年といわれ、亡くなった日が丑の日であったといわれる。太宰府に向かう途中、刺客に襲われたが牛が現れ、道真公を助けた。道真公の遺骸は牛車によって運ばれたが、牛が座り込んで動かなくなったので、その地を墓地に定めた(現在の太宰府天満宮)。菅原道真に与えられた神号は「天満大自在天神」であるが、「大自在天神」は牛にまたがっている、などの説話がある。北野天満宮では、数多くの牛の像が奉納されており、このブログでそのユニークな姿もご紹介したい。

 

道真公の「荒御魂」を祀る

 北野天満宮は、菅原道真公をご祭神としてお祀りする天満宮・天神社の総本社であり、八幡宮や稲荷社と並ぶもっとも数の多い神社で、全国で約1万2000社があるといわれている。道真公といえば、学問の神様として広く慕われているが、天満宮・天神社は、人口の少ない村落の端などにある例も多い。

 学問成就を願ったお社というより、多くの場合、災害を避け、逃れることを祈って祀られたお宮であったのではなかろうか。神社の立地に関する研究を見ると、地震の発生との関連で活断層に沿って立地する例が多く、水害津波土砂崩れなどに関連しては、微高地高台に神社が立地していることが報告されている。道真公が憤死された後に疫病も蔓延したといわれ、疫病を収めるために祀った神社もあったのではなかろうか。

 

 北野天満宮はもともと、左遷の地・太宰府で無念の死をとげた菅原道真公の「荒御魂」を鎮める神社だった(このブログの「「怨霊封じ」の社、大阪天満宮」を参照)。道真公は、中級貴族で学者の家柄である菅原家に生まれ、父とおなじく学者の最高位である「文章博士」についている。その後、公卿、さらに右大臣にまで栄達した。しかしこの出世が、藤原一族などの反発を呼び結局、左大臣・藤原時平の讒言(ざんげん)を信じた醍醐天皇により、太宰権師に左遷された。自邸を去るときには

 

    東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

 

の歌を詠んでいる。2年後の延喜3年(903)、京に帰ることなく道真は死去した。

 

 それから5年後の延喜8年(908)、弟子であったにもかかわらず師の失脚に加担した、藤原菅根が雷にあたって死んだ。さらに翌年、道真を不幸に追いやった左大臣・時平が、39歳の若さで急死した。延喜13年(913)には右大臣・源光が狩りの最中に泥沼に沈んで溺死した。このころから洪水長雨干魃伝染病など変異が毎年のようにつづくようになり、道真が怨霊となり、祟りをなしているのではないかと噂されるようになった。延喜23年(923)、醍醐天皇の皇太子の保明親王が21歳の若さで亡くなる。保明は、藤原時平の妹・穏子が産んだ子だった。醍醐天皇も、これは道真の祟りではないかと考えるようになり、道真の太宰権師を命じた勅書を破棄し、その地位を右大臣に戻したうえ正二位を追贈した。

 

 しかし、あらたに皇太子となった保明の子・慶頼王も、2年後に5歳で夭折する。慶頼の母の仁善子は時平の長女にあたった。延長8年(930)、御所の清涼殿に雷が落ち、大納言の藤原清貫と右中弁の平希世が亡くなるなど、朝廷要人に死傷者がでた。これに衝撃を受けた醍醐天皇は体調を崩し、皇太子の寛明親王に皇位を譲り、その年のうちに崩御した。道真公の霊は、御霊信仰とむすびついて人々に恐れられ、ご宣託により京の北野に天満宮が建立されて祀られた。

 

 神道では、人間界に災いをもたらす「荒御霊」は畏怖され忌避されるものであるが、手厚く祀りあげることで強力な守護神となると信仰されていた。そのことが御霊信仰が生まれるベースとなっている(このブログの「祟り神を鎮める「御霊神社」」、「祟り神を慰める「下御霊神社」」を参照)。祟りとは、神仏や霊魂などの超自然的存在が人間に災いを与えることで、人間では制御不能な出来事が起こった際に、それを強大な霊力の発現であると考えた。日本の神は本来、祟るものであり、疫病飢饉天災などの災厄そのものが神の顕現であり、それを畏れ鎮めて封印し、祀り上げたものが神社祭祀の始まりといわれる。

 

 祇園祭は、疫病をもたらす祟り神を慰撫し鎮魂する祭であるし、非業の死を遂げた菅原道真の天神信仰は、道真の祟りとされる清涼殿落雷事件(公卿 ・官人が皇居内で落雷死した事件)などの天変地異や、それによる藤原時平・醍醐帝らの死去などがあり、時の天皇らは恐懼して道真の神霊を「天満大自在天神」として篤く祀り上げることで、祟り神を学問・連歌などの守護神として昇華させようとした。疫病飢饉天災や世の中の動乱があれば、人々はそれを神々の「荒御魂」によるものととらえ、非業の死を遂げた神々を手厚く祀り鎮魂している。