古墳とならぶ八幡神社

金澤成保 

 

 神戸東灘の阪神石屋川駅を西南に行くと5分もせずに、東明八幡神社(とうみょうはちまんじんじゃ)にでる。その西隣に4世紀築造の70mの前方後円墳・処女塚古墳(おとめづかこふん)がある。被葬者は美しい乙女で、その乙女と結婚しようとした二人の若者の墓が2.1km西方にある西求女塚古墳(にしもとめづかこふん)と1.6km東方にある東求女塚古墳だという。「菟原処女の伝説」として万葉集、大和物語、謡曲(求塚)、森鴎外の「生田川」などに取り上げられている。近辺の石屋川沿いには古代の集落跡が発掘されており、当神社はこの地の産土神だったとも考えられる。

 

 

 神社の由緒によれば、神功皇后が朝鮮半島へ船出の時に、武内宿禰が皇后の健勝を祈ってこの地に植えた若松は、枝葉も繁りまたたく間に大木に育った。後年、この地を訪れた宿禰はこれを吉兆とし、応神天皇のご遺徳をたたえ、松のかたわらに祠を建て神霊を勧請して「正八幡宮」と称し、遠目郷(東明村)の鎮守としたといわれる。その後、貞観の代に九州宇佐八幡宮のご神霊を京都男山の石清水八幡宮へお遷しの時、鳳凰の神輿が当社で休息されたとも伝えられており、古来より「厄除息災・願望成就」の神として近郷より篤く尊崇されてきた。 



 武内宿禰が植えた松の木は、江戸時代になって幹周り5m以上の巨木となり、「武内松」とよばれ摂津名所として知られ、「立ち寄りて いざ言問はむ この里の 社の松に 古き昔を」(大中臣為村)と歌にも読まれている。しかし、この松は明治の初めに枯れたため、その一部を保存し、二代目の松を植えている。 


 近年は太平洋戦争・阪神淡路大震災(1995)と2度にわたり大きな被害を受けたが、そのつど氏子崇敬者の力をもって、再建している。境内には、浅香稲荷社、武内宿禰を祀った高良宮などがある。