織姫を祀る北摂の伊居太神社

金澤成保 

 

 

 大阪池田、五月山の麓に伊居太神社(いけだじんじゃ)がある。正式名称は、穴織宮(あやはぐう)伊居太神社で、機織・裁縫の技術を日本に伝え「織姫伝説」で知られる穴織姫(あやはひめ)を主祭神とし、応神天皇と仁徳天皇をともにお祀りしている。服飾のみならず産業・文化・学芸、さらには武術のご神徳を頂けるとして広く信仰されてきた。

 

 

 衣服・裁縫・織物の技術を求めた応神天皇は、阿知使主(あちのおみ)一行を中国の呉の国に遣わし、それらの技術者の派遣を求めたところ、兄媛(えひめ)、弟媛(おとひめ)と穴織(あやは)、呉織(くれは)の4人の織姫が日本にくる事となった。池田駅側にある呉服神社が呉織をお祀りして「下の宮」とされるのに対し、伊居太神社は「上の宮」とされている。

 

 阿知使主一行織姫たちはその後、応神天皇41年(310)、当社の下にあった猪名川の港「唐船淵」より上陸したとされる。仁徳天皇が即位すると、阿知使主一行と織姫たちは、この猪名の港一帯(現在の池田市付近)を領地として賜り、この地で盛んに機織裁縫の技術を広め、全国に織物、裁縫を普及させることになった。
 

 穴織姫が亡くなると、その翌年の仁徳天皇77年(390)に仁徳天皇の命により、その功績を称えられ社を建て祀られることになったのが、当社の由緒で池田でもっとも古い神社である。歴代の天皇、源氏、足利氏などの援助を受けたが、荒木村重の乱の兵火により焼失した。豊臣秀頼公により改築造営され、その後の補修をへて現在にいたっている。

 現在の社殿は慶長9年(1604)豊臣秀頼公により再建されたもので安土桃山文化の面影を色濃く残している。ご本殿は「千鳥破風三棟寄造」で、中央に唐破風、両側に千鳥破風を組み合わせた、全国にも例を見ない様式である。ご祭神は中央に「穴織大明神」、向かって右に「応神天皇」、向かって左に「仁徳天皇」をお祀りしている。

 境内には、拝殿大門のほか末社として、伊勢社松尾社国常立社住吉社稲名津社厳島社稲荷社があり、源頼光お手植えと伝わる頼光松の切り株などがある。