東京両国の江島杉山神社と旧安田庭園

金澤成保 

 

 

 東京両国には、先のブログでご紹介した回向院の南に江島杉山神社が、北に旧安田庭園がある。今回はそれらをご紹介します。

 

 

江島杉山神社の由緒と建造物

 この神社は、検校・杉山和一江ノ島弁財天をお祀りした神社である。幼なくして失明した和一は、身を立てるために鍼術を志すが、一向に向上せず破門される。江ノ島弁天の岩屋に籠り断食修行をおこなうと、現代では主流となった細い管に鍼を通す「管鍼術」を想いついた。

 

 

 さらに鍼術を学び、江戸で開業すると鍼の名人として有名となり、将軍綱吉に召し抱えられ将軍らの治療に当たった。61歳で盲人最高位の「惣禄検校」に就き「鍼治講習所」を開いて、多くの弟子に鍼・按摩技術を教育した。世界初といわれる盲人教育の場であった。

 

 

 元禄6年(1693)、当地本所一ツ目に屋敷地を賜わり、江ノ島弁財天を当地に勧請して祀ることを許され、翌年には荘厳な社殿が建立された。「本所一ツ目弁天社」とよばれ名所になり、江戸庶民の信仰を集めた。

 

 明治4年、神仏分離策により社名も江島神社となる。明治23年、杉山和一霊牌所も再興し、境内に杉山神社を創祀された。震災戦災により二つの社殿は焼失するが、昭和27年に合祀し江島杉山神社となった。

 

 境内には、杉多稲荷神社、和一が管鍼術を授かった、本社江ノ島弁天の岩屋を模した岩屋がある。弁天池のほとりに銭洗弁天美玉洗がある。

 

 

旧安田庭園の概要

 もと笠間藩主・本庄宗資により元禄年間(1688〜1703)に築造されたと伝えられる。かつては隅田川の水を引いた汐入回遊式庭園であった。汐の干満で景色が変化した庭園であった。明治維新後は、旧備前岡山藩主池田侯の邸となり、ついで財閥・安田善次郎氏の所有となった。氏の没後大正11年東京市に寄附され、復元・整備され現在に至っている。国技館の北にあり、入園は無料。