タイトルの通り、コロナワクチンを打ちに行ってきました、というお話。

 

 

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朝、目覚めたら床の上だった。

煌々と照らされた部屋の中、私は床に転がって眠っていたらしい。

こうなる予感はあった。

昨夜はどうしても我慢できずに酒を飲んだのだ。

いつからか酒を飲むと秒で寝るようになった。

 

だから厳密に言えばそれは予感でさえなかった。
正しく並べたドミノの最初のひとつを倒しただけ。
最後まで見なくてもそれで結果は見えている。

下敷きになっていた左肩を軋ませながら起き上がり、机の上の飲みかけの赤ワインに手を伸ばしかけて、ふと気づく。そうだ、今日はワクチンを打ちに行くのだった。
入りっぱなしだったエアコンの冷気にぶるりと身震いをひとつ。
ワクチンを打ちに行くまでにはまだ少し時間がある。

オレンジ色のグラスに残された赤ワインは汚れた血のようにぬるく濁っている。
ああ。その黒ずみが喉の奥にへばりついて吐き出す息が重く澱む。
オレンジ色は彼女の色だ。だから私は申し訳なくなる。
このグラスで赤ワインを飲むことはもうないだろう。

シンクに流した赤黒い液体は泥水の表面のような臭いがした。

 

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彼女にはきっと雨がよく似合う。

ワクチン接種の会場の駐車場から小雨を避けるようにビルに入っていく女のひとの細い肩に、彼女のもっと華奢なそれを思い浮かべた。

肩先を小さく濡らして、少し困ったような、でも抑えきれない喜びにわずかに口角を上げる彼女がビルの入り口で小さく手招きをする。

私はビルに吸い寄せられる。

 

想像のなかの彼女はいつも小さく手を振っていた。

せせらぎを撫でるときのような柔らかさと優しさで。

それはいつかのお見送りのときに実在する彼女が私にしてみせた手の動きだ。
数え切れないほど頭の中でリフレインしたはずなのに、自分でやってみるとなるとまるで違った動きになってしまう。
どうしたらあれほどさりげなく優しく潤すような動きになるのだろう。
霧雨のように。

 

*****

 

階段で3階まであがる。

空調に運ばれるべきだったムッとした空気が纏わりついて、ぼやけた酸素がうまく取り込めない。

エコだかプロ市民だかを気にする前に、ここに来る善良な市民を気にして空調をつけてほしい。

息苦しさにあえぎながら受付にたどり着く。

私の前に三人いた。
カッターシャツに包まれたでっぷりとしたお腹をベルトに乗せたおじさんにアルコール消毒をするように案内される。
事前に問診票をチェックすればスムーズになるとおじさんは言い、素直に差し出す。
ふむふむ。
大丈夫デス。

おじさんは事前チェックしたことをサインするだの言い含めるだの何も形にしなかった。
当然その先の受付でまたチェックされることになる。
個人情報見られただけだなと思いはするが私は何も言わなかった。

重々しく掲げてある『ワクチン接種会場』の看板を横目に導かれるまま、全身真っ白な服に身を包んだひとの前に進む。先の尖った帽子。真っ白で無機質な、お面。今朝シンクに流したワインのような澱んだ赤い双眸が私に向けられて、ぞわりと肌が粟立つ。分厚い祭服のせいで着ているのが男なのか女なのかわからない。それはまるで甲冑のように重そうだ。

トントンと指で机を叩かれて、問診票を出すと、コーホーとひとつ呼吸をした。
彼ら、それとも彼女らが声 ― と呼べるのかわからないが ― を出すたびにこめかみがピリつく。

電磁波に直接金属をぶつけて作ったような音は正直聞き取りにくかったが、なんでもないように『ハイ』とか『大丈夫です』とか言ってやりすごす。

曖昧な返事をしてはいけないという直感。

 

『ソレデは15番でお待チくだサイ。案内ノもノニ』

『コちらヘ』

 

言い終わらないうちに私の視界に入ってきたその人が、視界の先、グリーンのシートの上に並べられた椅子に私を誘導した。

オーソドックスな紺のスーツと同じ色のネクタイ、淡い水色のカッターシャツ。

どこにでもいる装いだ。だから違和感が止まらない。

他の人は気にならないのだろうか。

たぶん早くに受付を済ませたに違いない壁際のひとたちに目をやると、彼らは一様に配布されたプリントの向こう、自分の膝頭を見つめていた。

 

 

 

 

 

後半に続く(?)