6月初旬に上野(群馬県)の続100名城である沼田城、名胡桃城、岩櫃城を訪ねた折に立ち寄った上野小川城の報告をしたいと思います。次の写真は小川城址パンフレットの表紙です。
小川城は現在の上越新幹線の上毛高原駅から10分もかからない徒歩圏にある群馬県みなかみ町指定史跡であります。
この城は、次のの城館分布図を見てお分かりの通り、利根川、赤谷川合流地点から北へ2.5キロの利根川右岸段丘の端に築かれた城で、名胡桃城のすぐそばになります。それにしても、群馬県北部の城は、地形のせいか、河岸段丘の端に築かれているものが多いですね。
小川城、築いたのは、沼田荘田城主沼田景久が西の備えとして築城し、次男の小川次郎景秋を城主としています。小川家は4代景奥(景興か?)で断絶していますが、上杉謙信の裁定で、上方浪人の赤松孫五郎なるものが5代小川可遊斎となっています。
可遊斎は、情勢を見て、上杉方から武田方と主を変え、それなりに活躍したようですが、武田家滅亡後は上杉を頼って越後に向かったと伝えられています。それ以降は真田家の城として真田家の城番がいたようですが、沼田真田家5代城主となる真田伊賀守信利が城主となるまでの18年間居住したのを最後に廃城となったようです。
それでは、登城してみましょう。
次のパンフレットにある周辺の開発前地形図を見てもらえばわかりますが、城は沢に囲まれていて、本丸側(東側)が段丘の崖上で、二の丸、三の丸と続く西側が出入りする側となるため、空堀がめぐらされていたようです。
現在は、上越新幹線の建設により沢や二の丸堀がうずめられ、二の丸を横断する形で国道291号が新設されています。
そして、その291号沿いに写真にあるように小川城の幟と小さな駐車スペースが設けられています。
駐車スペースから空堀の向こうに本丸側が見えています。
本丸の空堀は今でもかなりの深さがあるので、当時は相当なものだったと思われますね。
空堀を越えて本丸側に行ってみます。
それほど広くはありませんが、平地に整備されていたものと思います。
説明板と立派な石碑があります。
本丸北側には土塁のあとがはっきり残っています。沢は結構深いですよね。
崖下には小さなささ郭と呼ばれた郭らしきものがあったように見えます。
引き返して、国道の反対側、すなわち二の丸、二の丸堀、三の丸方面は見てのとおり、平地となっています。
また、真田伊賀守の陣屋跡といわれても、まったく面影なしですよね。
ということで、二の丸、二の丸堀くらいまで残っていれば、かなり楽しめたでしょうが、ちょっと残念ですね。
最後に続100名城スタンプゲットのために訪れた3城の写真を掲載して終わりとします。
沼田城。
名胡桃城。
岩櫃城。