PPRUBBIT(PPラビット) の ひっこし旅ブログ続編 -2ページ目

PPRUBBIT(PPラビット) の ひっこし旅ブログ続編

Yahoo!から引っ越してきました、なかよくしてね!

 

 

 

 

 

 

京都「五山送り火」は、京都で毎年8月16日に行われる山かがり火で「大文字」の大文字山(如意ヶ岳)、「妙法」の西山(万灯籠山)東山(大黒天山)、「船形」の船山(西賀茂山)、「左大文字」の大北山(左大文字山)、「鳥居形」の曼荼羅山の5つの山で午後8時より順番に焚かれます。

お盆に帰ってきた先祖の霊(精霊 おしょらいさん)を、それぞれの家で供養した後にふたたびあの世に送り返す盆の先祖供養「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の慣わしで、京都のお祭り(葵祭 祇園祭 時代祭)と同じく受け継がれて来ている行事です。。


「大文字送り火」は従来から点火に「護摩木」というものが用いられ、姓名、年齢、病名を書いて納め、火床の割り木の上で、最初の点火用として焚いてもらうと厄除けになるそうです。。。
また「大」の字は、地、水、火、風の四元素に空を加えて大自然を表した「五大(インド哲学)」を意味し、自然への畏敬(いけい)と祖先をうやまう気持ちを象徴しているという説があるそうです。。。

京都出町駐車場から叡山電鉄に乗って貴船口まで行って旅館の川床料理を賞味してから戻って鑑賞といった感じでした。叡山電鉄鞍馬線は1時間あたり4本といった頻度で電車が出ており午後10時くらいまでは動いているので普通に夕飯を食べて下山すれば帰って送り火が観られるといった感じになります。駅にはアニメのキャラクター画があちらこちらに飾られており独特な雰囲気でしたがアットホームな面持ちで馴染み深いものなのかと思われます。

貴船には、本宮、中宮(結社)、奥宮と3つのお社があり参拝するのに坂道を少々登らなければならないので足の不自由な人にはつらい所です。社前には賀茂川の上流に位置する貴船川が流れ京都の街中の鴨川の源流とも思われる場所にあるので貴人の器すなわち貴船と言われるものなのかもしれません。
古くから歴代天皇が干ばつの時には黒馬を長雨の時には白馬を奉納して五穀豊穣を祈願した水の神様として知られ全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人たちから信仰を集めているそうです。幾段にも降り重なってある岩処に流れ出た水が滝のように白く流れ降り、敷かれた川床の下を流れていきます。滝はしぶきとなり川面に拡がり暑く照り付ける日射しを和らげてくれています。簾(すだれ)で覆われた川床にはたくさんの提灯がつり飾られて縁日の夜路のような雰囲気を醸し出してくれている処です。。

祭神は高龗神(たかおかみのかみ)とされ、神武天皇の母である玉依姫命(たまよりひめのみこと)が黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を上り此処に上陸して水神をお祀りしたのが起源とされ、社名の由来は「黄船」から来ており奥宮境内にある「船形石」がそれで玉依姫命が船を小石で覆い隠したものとされているそうです。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

福井県は、「越前漆器」、「越前和紙」、「越前打刃物」、「越前焼」、「越前竹人形」などの伝統工芸品として知られる品物が多く、立派な施設が建てられています。

鯖江市にある「うるしの里会館」には漆器の作業工程を和紙人形やパネルで紹介した展示があり施設内には職人工房や茶室もあって1500年続く伝統の塗りが伝えられています。。。


冬期には大雪に見舞われ交通も滞る場所ですが、温泉が在るので大丈夫かなぁ。。。「あわら温泉」には74本の源泉があるそうです。

旅館ごとに泉質や泉温が異なり、それぞれに特徴があるそうです。「あわら温泉」が発見された時に、人気を博したのが「舟湯」で、水田の用水路で使う田舟を浴槽として使ったことで一度に何人もが入浴できたので大変好評だったそうです。「あわら湯のまち駅」前にある「芦湯」にそれがあるそうです。。。

福井と言えば県庁所在地となっている所に、戦国武将「織田信長」の重臣として知られる「柴田勝家」が守護した「北の庄城跡」があります。。。天守こそありませんが其処には豪将として名を馳せた「柴田勝家公」と信長の妹として知られる「お市の方」と「茶々」、「初」、「江」の浅井三姉妹の身姿が据えられています。
「柴田勝家」は密告内通者との疑念はありますが、信長には力強い家臣として知られた存在であったようです。「勝竜寺城の戦い」「姉川の戦い」「長島一向一揆」「比叡山焼き討ち」と歴戦をかさね「朝倉氏」「浅井氏」滅亡後に一揆で治まらぬ越前へ「織田信長」の命令で遣わされ「北の庄城」を与えられました。
勝家は「本能寺の変」で信長が亡くなった後に、「明智光秀」を「播磨」から駆けつけもどり、仇討った「羽柴秀吉」との間でいざこざが起こり、領地でもらった「長浜城」を取り返され「賤ヶ岳の戦い」で大敗した後、「北の庄城」で自害しました。その時、妻となっていた「お市の方」はともに自害、娘3人は逃げのびる事となります。。。

福井にはまた、日本曹洞宗の仏教大本山である「永平寺」があり天皇より「日本曹洞第一道場」の名をもらっています。勅使門から入った奥にある山門は寛延2年(1749年)に建てられたもので、重層立派な造りで圧巻させられます。階上には釈迦如来像、五百羅漢像などが安置された羅漢堂があり日々修行僧のお勤めをもらっているそうです。山門入口両側には、仏教の守護神である四天王像が据えられており寺の四方を守っています。。。

海岸通には名勝地「東尋坊」があり、タワーから岬を展望したり観光船から入江をのぞき観たりすることができ多勢の人たちが来て、お土産を買っていました。北には「越前松島」という出島があり島にはお堂があって観音様が祀られているそうで、鳥居橋が架けられています。水族館があって2つのイルカプールでショーイベントをやっています。入館料が内容にしては少し高めかもしれませんね。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吉野山は奈良県の中央部にあり吉野川南岸から大峰山脈へと南北に続く約8Kmに及ぶ尾根続きの山稜で「金峯山寺(きんぷせんじ)」を中心とした社寺が点在する広域地名です。

桜の時期(3月末から5月初め)には交通規制がなされ、中心部の道路は早朝や夜間以外は歩行者天国としています。細く狭い山道で交互通行は無理です。この期間に自動車で来訪した場合には吉野山観光駐車場・如意輪寺駐車場・中千本公園地区にある各民間有料駐車場、または吉野駅周辺等に設けられた臨時駐車場からの徒歩となります。

世界遺産である「金峯山寺」は、7世紀に活動した伝説的な山林修行者「役小角(えんのおづぬ)」が開創したと伝えられ、蔵王権現を本尊とする寺院です。吉野山には吉水神社、如意輪寺、竹林院、桜本坊、喜蔵院、吉野水分神社、金峯神社など、他にも多くの社寺が存在します。

また同じく世界遺産である「吉水神社(よしみずじんじゃ)」は鎌倉幕府を足利尊氏(あしかがたかうじ)と共に滅ぼしたとされる「後醍醐天皇(ごだいごてんのう)」が南北朝時代に吉野に潜幸したさい、吉水院(吉水神社)の住職であった宗信法印の援護を受けて行宮(あんぐう)を設け、一時居所とした場所だそうです。
この南朝の御所には書院と庭園があり豪華絢爛立派な文化財と宝物がならんでいます。

吉野山に桜が多いのは、桜が蔵王権現の神木であるとされているからです。 

修験道の開祖とされる「役小角(えんのおづぬ)」は、金峰山(現在の大峰山系)で修行を積んで、その結果「金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)」が出現しました。これを感得し蔵王権現像を彫ったそうです。
その時に用いられた木材が桜であったので行者達は桜材を使い権現を彫刻し、これを祀る習わしとなったそうです。

 

桜は神木となり、桜の枯れ木といえども薪にさえせず、一枝を折る者は指一本を切るといったような厳しい信仰が厳守されたそうで、蔵王権現に祈願するさいには、神木とされる桜の苗を寄進するのが最善の供養となる風習が起こり、平安時代の頃から多くの桜が植えられるようになったからだそうです。