いにしえの町 伏見に再び。。。港と酒蔵が建ち並んだ通りを眺めて帰って来ました。。。 | PPRUBBIT(PPラビット) の ひっこし旅ブログ続編

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Yahoo!から引っ越してきました、なかよくしてね!

 

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今も昔から使い続けられてきたと思われる通い舟が残っていて町の景色を舟から遊覧できる様になっています。。。

紅葉には少し早く桜も咲いているわけでもないので少々もの足りなさはありましたが、歴史の舞台裏などの数々の由縁ある場所があり、とても興味深い処でした。。。
近くに京都競馬場などもあり、私が観に入ったときにはG1レースの「菊花賞」が開催されていた。。。

伏見は昔、大きな池のあった場所が改造されて出来上がった場所の為か伏流水が豊富に湧き出しているところで、「伏見七名水」と言われる水場があり酒づくりにそれが用いられてきました。。。

幕末の志士「坂本龍馬」の碑が建てられており庶民の注目を集めているようです、龍馬は京都 河原町「近江屋」で殺されてしまいますが(慶応3年11月15日)、龍馬のつくった「海援隊」と中岡慎太郎がつくった「陸援隊」は海軍陸軍の前身とされているようです。。。
徳川幕府(江戸時代)の崩壊の起因となるのは、やはり京都 二条城で執り行われた「大政奉還」であり、それを成し遂げるには命をも費やさなければならなかった時代だったのでしょう。。。

伏見にはあと明治維新の先駆けに違いない戊辰戦争の開戦となった場所(鳥羽・伏見の戦い)に慰霊碑が、「小枝橋」脇に残された物をはじめ幾つか建てられているのが解ります。。。

開戦は慶応4年1月2日に幕府の軍艦2隻が兵庫港に停泊していた薩摩藩の軍艦を砲撃したことが火種となったとされていますが、たび重なる異国との接触により「大政奉還」以前から幕府による弾圧のあった過激な攘夷論で対立した長州藩や四候会議で幕府からの主導権獲得に失敗した薩摩藩らが新型の火器を使い一気に幕府軍に襲いかかったようです。。。

戦闘は瞬く間に新政府軍の勝利となってしまったようですが「鳥羽・伏見の戦い」「甲州勝沼の戦い」「宇都宮城の戦い」「北越戦争」「東北戦争」「箱館戦争」などの争いがあり全国に及びました。。。