ここのところ連日、メディアは新型コロナウィルスに関するネタで埋め尽くされてる。

国民も、自粛・マスク・消毒・帰省NG・GoToキャンペーン・医療機関逼迫・関連倒産・夜の街叩き・密を避けましょう・大阪や名古屋の首長たちによるデタラメ発言などなど、ホンマ翻弄されっぱなし。

今日は、その中から「マスク」について。

マスクの有効性、マスクをつけるか否かで、(大袈裟かもやけど)国民が分断されてると感じる。

オレのスタンスはというと、どちからと言えば否定寄りやけど、全否定なわけでもなく、「各自が各自の置かれている状況に応じて、自分で考え行動すればいい」って感じ。

感染による被害者・死亡者を増やしたくないのは、もちろんヤマヤマではある。

でも、いつでもどこでもマスクマスクで、人とはひたすらに距離を取り、握手もハグも飲み会も堂々とできないなんて、その方がよほど人間や社会にとって有害やないかなあと。

大人はまだいいよ。
一番深刻な影響を受けるのは子供たち。
全員が常にマスクをつけ、何かというとすぐに石鹸で手を洗い、アルコールで消毒し、お友達とはお互い距離を取って、もしもつけてない子がいたら即座に先生に密告。

メチャ気持ち悪いし、そういった不自然な行為が子供たちに与える悪影響の大きさは、まさに想像を絶する。

そして、感染者への嫌がらせもホンマに腹立つ。
日本人の嫌な面(自己中で同調圧力が強くて想像力に欠けてて弱者に冷酷)を一度に見せつけられる気分。
日本人のそういうとこ、ホンマにダメよね。

ちょいと話が散らかってきたけど、ここで敬愛する甲野善紀先生のマスクに関するツイートまとめを。

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そうした中、私に出来る事としては、この感染対策を推し進めている人と、直にでもいいし、リモートでもいいのだが、討論させていただく事ぐらいかと思う(そういう場を設定してくださる方が出てきていただければだが)。

あえて言うが、誰が相手であっても、私が相手から突っ込まれて言葉に詰まってしまうような事は「絶対にない」(あえて「絶対」という言葉を使うが)。

なぜなら、私はすでに何度もツイートしたように「COVID-19の感染は大した事がないだろう」と、単なる希望的予測で現在の感染対策に反対しているわけではなく、現在のような馬鹿気た、生物の自然に反した方法で、次世代の人間の体質や性格が弱くなったり歪んだりすることを、何よりも恐れ、それを防ぐためには例え何十万人と犠牲が出ても、普通に生活すべきだという覚悟を固めているからである。

今の私は一人でも多くの方が、この事を真剣に考え(特に高齢者は)、自分が犠牲になっても真っ当な感情を持って、人が困っていたらすぐ手を差し伸べられ、身体もより健康な人間が、これから一層困難に直面する地球環境を、何とか立て直してもらいたいと願っている。

しかし、現在一点の疑いもなく、私が「こうあるべきだ」と信じているCOVID-19の対応法が、社会の常識と真向からぶつかっているのである。

(中略)

しかし、今このCOVID-19の感染拡大に対して「こんな愚策をやっていて、本当に先が見えていないなあ」などと笑ってはいられない状況に、世間全体が流されている真っ只中にいて「これはこれで仕方がない」とは思えないものを感じている。

どうすればいいのか。その方策としては、先ほど述べたように誰かと公開トークして、私の考えを多くの方に知っていただく事ぐらいしか、今は思いつかないが、この間にも子ども達がドンドンこの「新しい生活スタイル」に蝕まれているかと思うと、本当に気が気ではない。

何とか、この状況を打破する有効な手立てを思いついてくださる方が出現することを切望しているが、なかなか難しそうだ。
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オレはこの甲野先生の考えに概ね同意します。

が、いざ実家のオカン(身近な高齢者として)のこととか考えると、やっぱ感染はさせたくないから、帰省は控えてる。

これがもし同居やったら、オレの日常の行動も今とはだいぶ変わるやろなあと、正直思う。
実際そういう立場に置かれてる人たちのことを考えると、自分と考え方が違うからって安易な批判はためらわれるよね。


ネット社会で、流れてくる情報も玉石混淆。

社会的地位の高い人が発信した情報であっても、それは同じ。

先日は某知事さんが何の根拠もない「イソジンが有効」発言をして大いに批判されてたしね。


・情報はしっかり吟味。

・その上で、自分の頭で考える。

・結果、周囲の人たちと見解の相違が出たとしても、お互いの考えを尊重する。


大切なのはそんなところかな?