オレが最初に「同調圧力」というものをリアルに感じたのは、小学校1年生の時やった。

(もちろん当時はそんな単語知らんけど)

 

国語の授業で、ひらがなの「す」の書き方について、先生が黒板を使って説明している時のこと。

 

上部にある横線に、縦線が交わる位置について、「左寄り」「真ん中」「右寄り」のうちどれでしょうか?という問いに対して、「真ん中だと思う人は手をあげて」という呼びかけに、クラスのオレを除く全員が手をあげた。

 

「す」ですよ?

 

「いやいや、どう見ても右寄りでしょ・・・」と戸惑いつつ、次の「じゃあ右寄りだと思う人は手をあげて」に対して、戸惑いつつも1人で手をあげたオレ。

 

普通に見れば、どう見たって右寄りなのは、誰にでも分かるはず。

でも、周りの人が「真ん中」に手をあげるから、間違ってるのは分かってて手をあげたって人が大半やったと思う。

 

先生の「正解は、右寄りです。平木君だけ正解!!」という言葉を半分上の空で聞きつつ、「みんなとは違っても、自分の考えを大切にしよう。ちょっと怖いけど」と、この時子供心に思いました。

 

子供の頃から今に至るまで、どっちかと言うと「我が道を行く」タイプで生きてきたのも、この出来事も影響したかも知れません。

 

 

次は「多数決」について。

 

25才の頃、仕事先の若いバイトの子たちと、北九州のスペースワールドに行こうということになり、車にギューギューと乗り合わせて行った時のこと。

 

せっかくやし、まずは博多でラーメンを食べてから行こうと、高速で北九州を通過している時に、左側にドーム状の建物が見えてきた。

 

「何やろあれ?」と、ボーッと見ていると、周囲の子たちが「福岡ドームや!!」と盛り上がり始めた。

いや待て待て。

「ここまだ北九州やで? 福岡ドームが見えるわけないやん」と、ごく当たり前のことを冷静に説明するも、あとの全員は「絶対福岡ドームだって!! ひらきん何言ってんの!? 福岡ドーム知らんの??」と、数の論理で圧倒され。

 

しばらく反論したものの、あまりにもバカらしくて途中で諦めて引き下がったオレ。

 

「多数決って、間違う時は思いっきり間違うんやなあ」との思いを新たにした。

 

 

上記どちらも、昨日今日の #検察庁法改正案に抗議します に関する盛り上がりを見ていて思い出した話。

 

マジで #火事場泥棒 はやめてくれ。