ななめライン急行
ななめな人たち…悩みごとを抱えていたり、人生がうまくいっていなかったりして、世の中に対して少しひねくれたり「斜に構えて」しまっている人たちのことを指す。
ななめライン急行…そんな「ななめな人たち」が、気づかないうちにふと乗せられてしまう不思議な列車。
僕も若い頃に乗車したななめライン急行。
元々ひねくれている性格の持ち主ということもあるけど、とにかく「斜に構える」ことが多かった。
中高の卒業アルバムの個人写真では全く笑顔を見せていない。
目の前のカメラマンが頑張ってこちらの笑顔を引き出そうとしてくれているんだけど、それに気付いたらもうテコでも笑わない。
あまり話さないキャラを確立しようとしていた。
人の顔を見て話しをすることはない。
目の前の人に興味がない。
頑張ることがカッコ悪いと考えていた。
かと言って頑張っている人たちを見てカッコ悪いと思っていたかというとそうではない。
ただそういう人たちを眩しくて直視できなかった。
どこかで羨ましくも思っていた。
全ての人や物事に興味がなかった。
少し違うか…🤔
正確にいうと全てのものに興味がない振りをしていた。
当時は「斜に構える」ということを理解していなかったけど、今から考えるとどこか全てが演技くさかった気がする。
高校生になってからはななめライン急行どころか『ななめライン特急指定グリーン車』に乗っていたんじゃないかと思う。
特に音楽にのめり込むようになってからはその傾向が一層強くなった。
自分の嗜好するものこそナンバーワンだ。
本気でそう思っていたのかもしれない…。
恥ずかしい。
めっちゃ恥ずかしい…。
当然あの頃の僕はななめライン急行に乗車していることにさえ自分では全く気付いていなかった。
常々気怠い振りをしていた。
人生つまらなそうな振りをしていた。
必要以上に友人は要らないと思っていたし、こちらから愛想を振り撒くことも一切なかった。
でも彼女は欲しかった🥲
ただミスチルやtrfを好きでキャーキャー騒いでいる彼女ではなく、学校では大人しく目立つ感じではないけど男子からは「あの子可愛い…」って裏で思われていて自宅ではUS・UKロックをこっそり聴いているような…そんな彼女が欲しかった。
当時僕が好きだった彼女はロックこそ聴きはしなかったけど、彼女の周りの友人がそれこそミスチルなどを聴いてキャッキャしているのを横目にダイアナロスを聴くくらいには変わっていた。
そこがたまらなく好きだった。
そんな彼女でも、年を重ねるにつれELTなどを聴くようになり
♪ この恋ィ つかみ取りたいィ〜
なんて歌うようになり、ななめライン急行から下車していった気がする。
(彼女がななめライン急行に乗っていたかはわからないけど)
別にセックスピストルズを聴いてくれとは思わないけど、ビートルズくらい聴いてくれないかな?
もちろんそんな押し付けがましいことを言いはしなかったけど、心の中では思ってた。
僕ウザっ!
ななめライン急行発車しまーす(車掌の声)
それから時を経て、20代前半になってもどこか斜に構えているところは抜けなかった。
周りの人たちはどんどんななめライン急行から下車していくのに、僕は目的地も定まっていなくてまだにこの列車から降りられずにいた。
その後今の妻と出会ったのだけど、ある日飲み会の席で彼女(のちの妻)の友達から唐突に
「何か不機嫌そうですけど、私何かしました?」
って言われた。
「いやいやいや…。全然そんなことないですよ…」
って絞り出したけど、内心ドキッとした。
自分では普通にしていたつもりだったけど、その女性からは僕が不機嫌そうに見えたという。
僕には「斜に構える」ことが染み付いてしまっているんだと気づかされた。
何事にも無関心でいること、無関心である振りをすることに心と体が慣れてしまっていた。
「楽しくない場では無理して笑うことはない」
「興味ない人の名前や顔は覚える必要はない」
「頑張ることはカッコ悪い」
どこかでずっとそう思って生きてきた。
…。
カッコ悪ぅ…。
僕めっちゃカッコ悪い…。
変えたい。
自分を変えたいし、こんなカッコ悪い人が隣にいてる彼女にとても申し訳ない。
それからは結構努力した。
できる限りニコニコするように頑張った。
特に初対面の人の前では微笑むように意識した。
今までは
「ハァ?興味ねーよ…」
って思ってた人の話も積極的に聞くようにしたし、興味を持とうと努力した。
彼女と結婚して数年経った時に
「あなた考え方変わったよね?」
って妻から言ってもらった時は涙が溢れた。
こんな僕でも少しは変われることができたんだと思ったけど、それでもなぜかまだ僕はななめライン急行から下車できていないような気がしてた。
この列車から降りるには何が足りないんだろう🤔
僕には人よりも努力する事が圧倒的に足りなかった。
部活動でも、受験勉強でも、学生生活でも、仕事でも。
サボらない程度に極力手を抜いて、それなりに生きていく事を良しとしていた。
一時期自宅に引きこもっていたこともあるし、社会に出る事からも逃げていた時期があった。
頑張る自分カッコ悪い…。
違うだろ?
頑張る自分がカッコ悪いんじゃなくて、頑張っても結果が出ないことが怖いんだろ?
一所懸命になっても報われないかもしれない事が恥ずかしいんだろ?
そう思ってきた過去の自分を蹴り飛ばしたいんじゃないの?
僕は本来なら外出しないであろう真夏のとても暑い日に走り出してみた。
苦しんでみたい。
苦しいけど全力を出してみたい…。
一所懸命になってみたい…。
別に苦しめたら走る事じゃなくても良かったんだけど、たまたま思いついたのが走る事だった。
ゆっくりのペースだったけど1kmくらいしか走れなかった。
うまく呼吸ができなかった。
誰かにやらされたわけではなく、自ら走ったのは初めてのことだった。
「僕に足りなかったものって、これなんじゃないかな?」
あれから14年。
グダグダながら僕はまだランをしている。
一時期は本気でランに取り組んで、マラソンのゴールラインを超えた時に僕はななめライン急行から下車できたような気がした。
おかげで僕は何事にもできるだけ全力を出す事を心掛けるようになった。
例え報われる事がなかろうと、とりあえずは一所懸命頑張ってみるという思考になれた、と思う…。
僕は好きで走っているわけじゃない。
「ランが楽しい」だなんてただの1度として思ったことはない。
嫌いだから走ってる。
日々の辛い事から逃げない練習としてランをしてる。
ただ懸命に走っている。
それはとても憂鬱なことだ。
「あの人のことは嫌いだけど育ててくれたことには感謝している」
そういうのと同じような感情でランと向き合っている。
きみを乗せ走り出す
ななめライン急行
今はまだもがくことしかできないけど
きみを乗せ走り出す
ななめライン急行
答えはきっと降りるまでには出ているよ