人生の長さに比べれば、まだまだランニングをしてきた時間なんて短いものです。
しかしその中でも本当に悔しかったことや情けなくなったことは何度もありました。それは今となれば感じることができてよかった気がしてます。
特に長い期間にわたって悔しい思いを通り越してトラウマになっていたのがびわこ毎日マラソンです。
2015年に初めて出て、完走したんだけれどもその後
2017年、18年、19年と出たが最後まで走りきれず終わっていました。
2015年の時は勢いとか応援とかありつつも、最高のコンディショニングを施して貰っていたので行けた気がします。
しかしその後は体調面の崩れや、ピークアウト、焦りなどあり本来の実力を出しきれない状態が続きました。
悔しさを超えてトラウマ、恐怖に変わっていました。
憧れていた大会が恐怖に変わった経験はこの先ないと思います。
みんなの期待に応えないと!そんなことはやはり少し思いながら走ってました。だけど結果が出ない時は辛い。
びわこで結果が出ない間も他の大会ではサブ2.5切りを何回か行っていました(富山、湘南、東京とか)
しかしいざ琵琶湖となると何故か、、、。
病は気からと言いますがまさにその言葉がふさわしい走りをいつもしていました。
挑戦すれば必ず悔しい経験や屈辱の思いも出てきます。それはきっと生きていく中で壁に当たる時に必要な経験なんだろうと。それが屈辱なのか、挫折なのか、言葉は人によって違ったり感じ方が異なったりするのでしょうけれど楽しいことよりも辛いことを経験することで人は成長するんだろうと思うので屈辱の経験を早めにしていてよかったと思います。
そして2020年でびわこは終わりと思い望み気持ちが吹っ切れたのか?走りきれました。
夏の宿題の如く期限があるとなんとかクリアしないといけない、クリアしようとする性格なのか分かりませんが自分らしい走りが久しぶりにできました。そんな時ほどどこから出てるのか知らないけれど周りを見る余裕がありました。体力的な余裕もですがそれ以上に心の余裕度が凄くあってこれで終わりだから悔いのないように走ろうとか思えました。守りに入る人生よりも常にせめていく気持ち、何事にも期限を設けてやる志が自分にはあってるのかなと思いました。
それでその期限が終わったらまた違う目標をもったり違うステージで違うことに挑むのがメリハリがあっていいのかなと。
この屈辱の経験があれば本来は新しいことにチャレンジしやすくなる?かもしれないし同じような屈辱を味わいたくないから新しいことに挑戦することに気が引けるようになるかもしれないし。
あなたならどっちでしょうか?
僕はつい最近まで気が引けていたのと言うのが本音です。自分の体験をポジティブな方にいかせてない。
ただようやく過去の体験をポジティブに活かして新しいことに向き合うことがそろそろできそうです。
自分が挑戦したいと心から思うこと、それは自分でもわからないし誰にもわからないかもしれない。
見つけられる人は相当なラッキーな人だと思う。
自分のこの体験は他の人にも起こっている事かもしれないしこんな経験したことがない人もいるかもしれない。
自分が経験したこの出来事は必ず他の人の役に立ったり、これからの自分の人生の中で起きる辛いこと打ちのめされる様なことを迎えた時に自分を楽にさせてくれる経験だと思って。ここに記します。