毎日マラソン最後と言い放ったが
やっぱりもう一度出たい。なんて思うのか?
思わない気がする。

びわ湖毎日マラソンはどういう存在だったか?
憧れの存在でありランニングを続ける1番の原動力、まさに原動力だった。

もう悔いはないのか?
ない。

その大会に出ようが出まいが自分は自分。
失うわけでもないし、廃れるわけでもないし、むしろ成長する想い。大きな決断をした自分は人生において成長しているとしか思えない。

仕事と同じでまだいけるだろうという時に潔い決断をすること考えることは大切かなと。

絞り切るまでやるというのは自分の学問には当てはまらない。

それに仕事でも生き方でもそうだけれど
ぼくの一番は自由でいたいということなのです。

干渉され過ぎたくない、指示を沢山受けたくない
落ち着いた空間や時間を持ちたい、時を操りたい

そんな気持ち。

だから今回の一つの終わりは、自由への一歩にもなる。

びわ湖に出ることそれは原動力
しかし、時代が変わればその答えも変化してしまうものもある。

ぼくにとっての次なる原動力とはなんなのか?
それを聴きたいかな。

それはまた。