ランナー沖和彦としても、指導者の沖としても、
一番は成果を出すことが大切だ。
それまでの過程とかシナリオ、流れとか全て大切だろうけど、一番は成果だ。
ぼくはプロだ。
最後は結果だ。
これでぼくが、
「結果出させるのははあんまりですけど、指導の過程は自信あるんです。」
「良い練習できたんですけど、全然ダメでした」
そういう取り組む姿勢自体も評価すべきだろうけどやっぱり有言実行させたいし、したい。
いくら正しい知識を学んでも、結界がでなければそれは100点の喜びとは言えない。
もちろん結果が出ても、正しい知識が不足してたら100点ではないかもしれないけど、点数には出ない付加価値がつく。そんなもんだ。
よく思われようが、憎まれようが、そんなのはどうでもよく、クライアントの目的や目標をかなえると言うところに持っていくことは一番大事。
それがクライアントにとって、新しい自分に生まれ変わるための「自信」という切符を手にすることになるから。
*切符を手にしても改札口に入れるかどうかはクライアント自身に委ねるけれど。
正しい体の動きができないから、もう目標には辿りつきませんとか、正しい体の動きができたから、目標に辿り着きますとか、確かにそうかもしれんけど。
過程が悪くても成果を出す人はいるし、過程がよくても成果を出せない人もいる。
もちろん、過程がよくて成果を出せたら一番なんやろうけど。。
指導者として、自己満には陥らないでいたい。
自分の指導が完璧な内容だとしてもそれが走りにつながっていなかったら、総合評価としては満点なわけがない。
指導者-沖和彦として
成果が出たら本人の努力。出なかったら指導者の責任。成果が出ても、出なくても相手を認める。
アスリート-沖和彦として
成果が出た時は、指導者のおかげ。
成績が出なかった時は、アスリート本人の責任。
(自分の努力が努力と呼べなかった時だったから)
成果が出なかったら、その時の怒り、悔しさを生きるエネルギーに変える。
そんな想いだ。
とにかく、内容も大切だけど、成果を出すこともまた大切だ。
だからこそ、それなりの対価をもらわないと、自分が自分を裏切ることになる。
それが自分が思う自分だ。
この仕事に人生かけてるからね。