昔からポピュラー音楽はよく聴いてました。

LPで一番よく聞いていたのは井上陽水で、多分全LP持ってたと思います。「なぜか上海」が入ったアルバム「スニーカーダンサー」はすり減るほど聴きました。

その後CDの時代になってからは、浜田省吾や佐野元春を聴き、南佳孝、大貫妙子、松任谷由実、時代が下がって宇多田ヒカルとか、あんまり脈絡のない聴き方をしてきました。


その中でも、個人的に好きだな〜と思っていたのが南佳孝です。

「スローなブギにしてくれ」をきっかけにして、人の深い情念の世界を歌えるひとだなーとしみじみしながら聴いてました。 


しかし、先日ふと気になって、彼の曲のなかでも有名な「日付け変更線」は誰が作詞したんだ、まさか南佳孝本人だよな、と思って調べたらたまげました。



なんと、作詞はユーミンさんではありませんか?!うそ〜っとのけぞりました。


だってこの曲は、母親に愛してもらったという実感のない男性(マザコン男)が、冷たい母親に似たイメージの女性と付き合うけれど、その女性はやはり母親と同じで「情に薄い」と感じ、自分から別れを告げて、あろうことか飛行機に飛び乗って外国に飛び、彼女(母親)を忘れます宣言の歌だと解釈していたからです。


置き手紙に気づいた彼女が数分だけ思い出を辿りあとは暮らしに戻る、というのはこの男の母親へのイメージだと思ってました。「自分のことをかまってくれない冷たい母親」イメージです。


後半の「君は君で生きるし僕は 君に似ている誰かに出会う」というのも同じ。

頭では母子分離をしてるつもりが、しかし心の奥底では情の薄い母親と似てる人をまた探してる。


こんな、いつでも自分から異性との関係性を壊してしまうような男の歌は男にしか書けない(例 浜省)と思っていたので、まさかユーミンの作詞とは思ってもみませんでした。

40年以上、この曲は南佳孝作詞だと盲信していたのです。


そうなると、ユーミンの作詞した曲にはマザコン男を歌った曲がなきゃおかしいということになります。

探してみました。

ありました。

ルージュの伝言 です。



さあ、大変です。
ダンナが浮気しました。しかし奥さんは、自分の実家に帰るのではなくダンナの実家に行って、ダンナの母親に浮気について話して、義理の母親から叱ってもらおうと企んでいます。
その理由は、ダンナがマザコンで母親の言うことは聞くことを知ってるから。
ユーミンさん、人間理解がすごい。

個人的に松任谷由実さんの曲で一番好きなのは「ミス・ブロードキャスト」です。


こちらは自立した女性が、キャスターとして秒刻みの世界で生き生きと働いている様子を歌っています(多分)。
先のマザコン男の行き着く先が「抑うつ状態≒手に入らない対象を追い求めて行き着く空虚さと消耗感」だとしたら、このキャスター女性はめくるめくような「軽い躁」的な「現在」を楽しんでいます。

同じような「きらめく現在」は、「真夏の夜の夢」にも見られます。途中までですが。


なるほど、こうやって真面目に考えてみると松任谷由実さんという人は人の生き方と「時間」を歌ってきた人なんだと気づきます。

南佳孝に提供した「日付け変更線」に歌われているアンニュイ感は、自分が欲しい対象とは決して一体化することができないにもかかわらず、執拗にそれを探して、今度もまた巡り会えなかったという甘い挫折感(手に入れることが叶わない未来を手に入れようとする未来先取性)と強く関わります。

日本を代表する精神病理学者の笠原 嘉先生は、「望みの対象と自らを一体化させることで得られるはずの生命的高揚を、いまだ果たさぬまま待ち続ける」心性と、クレッチマーの分裂気質との関連を指摘しました。
そのような視点からすれば、「日付け変更線」は、分裂気質的な「未来志向性」が謳われているともいえそうです。

他方、笠原先生は「てんかん発作のような生命的高揚」という言い方もされていたと思います。オーラとともに出現するてんかん大発作では、意識を失うなかでの身体の過剰な動きに表現されるような「現在への没入」があると考えるのです。

「ミス・ブロードキャスト」の現在への没入はてんかん気質やあるいは躁状態と関連する「現在志向性」を表すとも言えそうです。

そのような「未来志向性」やら「現在志向性」やらは薄められた形で、我々一人一人の心のなかに(決して意識化されることなく)あるがゆえに、ユーミンさんの歌は人の心に染み入るのだろうと思います。

さすが国民的な大歌手である松任谷由実さんは、ただならぬ才能をお持ちなんだと今頃気づきました。

歌の歌詞というのは真面目に読むと面白いです。



毎日ジメジメとホントに蒸し暑いです。