名取市に越して来た時はまだ東日本大震災の爪跡が色濃く残り、特に壊滅的な打撃を受けた海沿いの閖上地区には写真を撮りに行くのが申し訳なくて行けないくらいの爪跡が残っていました。
当時はカメラを持って一日一万歩することを決めていた(我ながら偉い。もちろん今には続いていません)ので、閖上の入口あたりまでは行って、引き返すということもありました。
そこで気がついたのは「名取老女の墓 あと○○m」という看板があったことで、なんだろ?と思っていたのです。なんでおばあさんの墓が名所になってんだ?
調べてみたら、なるほど、名取には信心深い女性がいて毎年、紀州和歌山にある熊野神社に参拝に行っていたが高齢化したので、自分の住処の近くに小さな祠を勧請し熊野三社を祀っていた。
そこへ山伏が現れ、熊野から名取に来る途中で夢に神様がでてきて、老女のことを詠んだ歌をもらった、と話します。
老女は嬉し泣きをするのですが、地域の人たちは老女の信仰心に感激して、名取市の山の方、高館山付近に熊野三社を新たに勧請してそれが現在に至るというお話です。
もちろん「名取老女の墓」はこの老婆の墓です。江戸時代に立てられたらしい。
ちなみに「老女」とは官位の一つらしく、別の伝説では天皇の皇女の病気平癒祈願をしに京都まで登ったことの褒美として、時の天皇から熊野三社の名取への勧請を許可
された時にもらった位みたいです。
木曜の今日はあまりにも快晴だったので、午後から奥さんを誘って、熊野神社に行ってみました。
まずは山の下の方にある熊野新宮神社。
なかなか趣のある建てものです。池にあやめが咲いてないかな?と期待していたのですが外れました。
向かいに新宮寺文殊堂というお堂もあり、中には御本尊がいるとありましたが、境内にはお地蔵様らしからぬ石仏がありました。地蔵菩薩なのかしら?なんか人間くさいんですが。
ここから山に入って那智熊野神社に行きます。
本当はもう一つの熊野本宮神社があるのですが、イマイチ場所がわからず逃げ帰ってしまいました。
名取老女の墓やら、彼女がたてたという小さな三社は名取市の下余田(しもよでん)地区にあります。セリの名産地です。
ちょうどこの那智熊野神社から見渡せる位置にあります。
そんなわけで、名取市は平安時代くらいから熊野信仰の篤いまちみたいです。
今日行った2つの熊野神社には本家熊野神社と同じく、ちゃんと八咫烏が祀られていました。