こないだの自民党の裏金問題はいうまでもなく、吉幾三さんに指摘された北海道出身のパワハラ議員、理由のわからないリニア新幹線止めをやった静岡県知事、アメリカ議会で大拍手されてすごく喜んでいるどっかの国の首相、また学歴詐称を指摘されたどっかの都知事、とか、政治家を志す人というのはなんか普通の感覚の持ち主ではないんだな、と思ってしまいます。


昔の同僚に政治学の教授がいて、彼が「政治は権謀術数の世界だからな」とつぶやいていたのを思い出しますが、権謀術数を用いて人を蹴落とし、自分が成り上がろうとする心性は頭では理解できないわけではないですが、気が弱い人には向かない世界なんだろうなというのが現在の感想です。


それにしても、権力を持つというのは快感なんだろうな〜とは思います。

例えば今回、岸田さんはアメリカ議会でやたらと拍手を受けて喜んだみたいですが、あの拍手は「日本人にしてはちゃんと予習した英語で頑張ったじゃないか」とか「またアメリカの負担を減らしてくれるのに役立った」「民主・共和両方に耳あたりの良い話ができるんだ」くらいの意味で、決して「君は人間として素晴らしい」「なんて有能な首相なんだ」とかの意味はそんなには含まれていないのではないかと思います。スピーチを書いた人は褒められたかもです。

けれど、多分岸田さんは大いに気を良くして、「そうか、オレは安部さんを超えるくらいと評価されたのかも」とか考えてるんじゃないかと思うと、なんだか笑ってしまいます。

そんな意味では、岸田さんはまた息子を秘書に戻したりして懲りない人だな〜とかは思いますが、自ら人を押しのけて、オレがオレがと威張り散らさないところは買いかな、とは思います。


しかし、パワハラと言われるような人(政治家とは限らない)はなんでああ上から目線で、「自分が一番頭が良くてなんでも知ってる」と高すぎる自己肯定感を持てるのか不思議です。

私の昔の同僚にもいました。

自分より下だと思うと威張り散らすのですが、数少ない「自分より上」の人には人が変わったかのように媚びへつらうことができ、その変幻自在さにはたまげることが多かったです。


このタイプの人は、自分を取り巻く世界で「権威」として理解されている人ないしはシステムに対して自分を同一化してることが多いな〜と感じることも多くありました。もちろん「世俗的な」権威です。

あともう一つは金に対する執着が強い。

金と権威にならないような仕事は絶対引き受けないという特徴もありました。


これに該当する政治家はいないことはないでしょうね。

先の北海道出身のパワハラ議員とかは近いのではないかな?リニア知事も似てるのかな?

裏金の人たちはどうなのかしら?情報が足りなくて分りません。

都知事はどうなのかしらね?自己愛がやたらと強い人だとは感じます。あと不都合なことはあたかも「ないかのように」振る舞うというのはこれはこれですごいですね。

今回もまた大手マスコミは文春が再提起した問題をスルーするのかしらね?


これから政治家になりたい、国会議員になりたい、という人には、①かなり細かく精度の高い人格検査(変質者や病的な嘘つきの排除)、②世俗的な権威に対する親和性の度合いの検査、③他者に対する支配性の度合い、④知能検査、⑤発達障害の有無の検査、⑥日本語能力検査、⑦外国語能力検査、その他諸々の検査(特に対人関係能力)を課し、それをパスした人(相対評価ではなく絶対評価)に対して数年間の下積み社会生活を課し、そこから初めて政治に関わる勉強を数年間課す、というふうに、ハードルを上げたほうが良いと思います。


あとは特に国会議員の歳費等に関する優遇を廃止することも必要ですかね。税金から支給される年俸は2000万止まりにしないとです。交通費とか通信費はその都度請求にしないと。

つまり、国会議員ではうまい汁は吸えませんよ的な常識を作らないとです。

地盤看板がないと選挙に勝てないとかいう悪しき前例も排除しなきゃだし。


なんて偉そうなこと書いてますが、そんなに偉そうなこと言うならおまえやれ、とか言われそうですが私はストレスに弱いのでとてもできません。


日本だけ立派な政治家が育っても、世界には強欲で上から目線で、他人の命なんてなんとも思わないような政治家がゴロゴロしてるわけですから、そういう人と戦うために、大臣のふた枠くらいは、同じように強欲で上から目線で、他人の命なんてなんとも思わないような人を選んで世界と戦わせてそれを実況して庶民が楽しむのもありかもしれませんね。


こんなことを考えると、地球の政治はいっそまともに世界を学習した(誰がそう判断するかは大問題)AIに任せたほうが良さげな気すらしてきます。


清貧な政治家とか、もう出てこないのかしらね?





このあたりの桜は金曜日の今日が満開です。近くの中学校の桜です。