今朝の朝日新聞の全面広告にこんなのがありました。



なんだ?と思ってハズキルーペをかけて読んでみると、タバコ会社のフィリップモリスCEOの人の、日本での喫煙禁煙に関する広告でした。

要は紙巻きタバコは日本では売れなくなったけど、代わりの加熱式タバコは売れてます、禁煙をおすすめしますが、喫煙する意図を持ってる人は我が社の加熱式タバコをとうぞ、みたいな話でした。


なるほどね、と思いましたが、今更加熱式タバコを試してみたいとは思いません。


川内キャンパスでの授業料値上げ粉砕決起集会とやらにいやいや参加している時に、高校の同級生に勧められた両切りピースに初めて火をつけてむせたのが喫煙の歴史の始まりでした。

1970年ころの話です。


あの頃はみんな(?)タバコを吸ってました。というか、小学生の頃、担任の男先生から500メートルくらい離れたタバコ屋に行って「しんせい」買ってきて、とか言われてもなんの不思議もない時代でした。60年代ね。


大学3年で入った研究室には大きな南部鉄器の灰皿があり、壁には「研究第一主義」と並んで「火乃用心」と大きく書かれた手書きのポスターがありました。

男子学生、院生、助手、助教授、教授、全員ポケットにタバコをしのばせ、講義の合間に、あるいは講義のさなかにも吸ってました。

70年代から80年代の話です。部屋の中は眠いのが当たり前の時代でした。


当時、「タバコはこころの日曜日」というCMすらありました。

要はニコチンが脳内でアセチルコリン受容体と結合してドパミン放出をうながし、快感に結びつくという話をポエム的に表現したものですね。

つまり、ニコチン依存が作られたわけです。

そんなわけで、なんかに集中したいときや、気分転換の時にはタバコは必需品でした。


しかし、①タバコに含まれるタール等により肺がんの危険が高まる、②それは喫煙者だけでなく、副流煙で周りの者にも同じ結果をもたらす、とのことが喧伝され、90年代くらいから「タバコ離れ」が社会的な現象となりました。


個人的には2000年代のはじめくらいまでは頑張ってソトでタバコを吸っていたのですが、COPD兆候が出てきたので泣く泣くやめることにしました。

禁煙に一番役にたったのはニコチンパッチでした。吸いたくなるとこれを貼ってなんとか耐えました。

リバウンドは幸い起こりませんでしたが、1年以上は集中力の低下に悩まされました。

タバコ無しでマジで論文書けませんでした。


現在は他人の吸ってる煙の匂いをかぐのも嫌です。


しかしふと思います。

90年代くらいまではみんなタバコでドパミン溢れさせながら頑張ってきたんじゃないか?

喫煙に起因する肺がんとか心筋梗塞とかもあったけど、社会には不思議なチカラもありました。


でも、禁煙が世の中の波になり、喫煙者が隅っこに追いやられるのと並行して、日本にはガムシャラに前に進むエネルギーがなくなったようにも見えてしまいます。

まあ、たまたまなんでしょうが。 


加熱式タバコもなかなか人前で吸えなくなった現在、ポリティカル・コレクトネスとかなんたらなんたらきれいごとばかりが社会に流通し、目立つのは人の揚げ足取りのようなせせこましい社会になってしまったような気もします。

おなじ釜の飯を食ったわけでもないけど、同じ煙たい空気の中で生きてきた仲。

多少のことは許しあえた。


みんながみんな、小綺麗な世界に慣れてしまえば、薄汚いけど活気のある社会にはもう戻れないんでしょうね。


フィリップモリス、これからどうすんですかね?