晴れて割と気温が高い金曜日の朝です。

昨日はジムの帰り、週刊新潮だけ買うつもりが、文春も買ってしまい、失敗したなと思いながら読んでいたら、文春にこんな記事があるのを見つけました。


NHKの朝ドラ「ブギウギ」に出てる小夜ちゃんを演じる富田望生さんが福島のいわき市出身で、小夜の福島弁である「〜してくんちぇ」はお手の物である、という話でした。




私は朝ドラは見ないのですが、熱心な朝ドラ視聴者である奥さんが見てるので、なんだかうるさい人が米兵と仲良くなったり、泣いたりしてるな、程度にはこの役者さんのことは知ってました。


方言もなんとなく福島弁みたいだなとは感じてましたが、ちゃんと見てないので分からないでいました。


しかし、この記事によると富田望生さんはいわき市の出身だとか。

そう言えば高校の同級生に富田姓は何人かいたなと思い出しました。


いわき市は昔は平市がメインだったのですが、昭和41年に周囲の四倉、草野、内郷、勿来、植田、小名浜、まだあったかな?などの町を合併して出来た町だと書いてありました。

昭和41年なら高校1年生の頃で、まだ蒸気機関車だった常磐線で平にあった高校に通い始めた頃なんだと、一人合点しました。


で、この「〜してくんちぇ」というのは、確かに聞いたことがある福島浜通り方言で「〜してください」の意味です。

ただ、子供の頃に頻繁に使ったかというとそれほどでもなく、すごく申し訳ない書き方になるのですが、この言い方はあまり裕福ではない層で使われていたような記憶があります。


小学生の頃にはみんな貧乏ではありましたが、なかでもかなり貧乏な家の子が使っていたのではないか、と思います(個人的な思い込みならごめんなさい)。

では、裕福ではないけど普通に赤貧でもなかった層は「〜してください」に該当する言葉としてなにを使っていたのかというと「〜してくなんしょ」でした。

この「くんちぇ」と「くなんしょ」の差異は「くなんしょ」の方がより敬語的というか、やんわりしたお願いの仕方を表現するところにあったような気がします。


似たような「〜してください」を表す言葉に「〜おくらい」というのもありました。

ただ、前の2つと意味が違うのは、「くんちぇ」「くなんしょ」が「〜する主体」が相手であることが多いのに対して、「おくらい」は「こちらが〜してもらう」のように受け身的な意味合いがあったように思います。

例えば「そこの新聞取ってくんちぇ」「〜取ってくなんしょ」には「取ってくれるようにあなたに動いて欲しい」の意があるのに対して、「そこの新聞取っておくらい」には「私に渡して欲しい」というように「主体は私」感があるわけです。


例えば、子供の頃、「お〜くらい」と言いながら店に入りましたが、「買い物客である私が来ましたよ」という意味があったように思います。「おくらい」は「おくれ」の柔らかい表現でもあったかもしれません。


こうしてみると、方言は似たような言葉でも、いろんな細かい意味を使い分けてたのかもと思いたくもなります。


尊敬語とか謙譲語とかの言葉を知らないうちに、しかしなんとなく相手と自分との相対的な関係を理解しながら方言を使っていたとすると、昔は今みたいに「人間みな平等」的趣のなさ、とは全然違う世界が展開されていたんだな〜と懐かしく思ったりしている金曜日の朝です。