~文化財散歩(24)~
太閤園は、大阪城の北側に位置し、およそ7,000坪という広大な庭園と築100年の建物を有する施設です。
明治時代、関西財閥の雄と言われた藤田伝三郎翁が淀川畔に建てた邸宅「網島御殿」がルーツです。
昭和20年(1945年)の戦災で邸宅のほとんどが失われましたが、
唯一、残された東邸「淀川邸」をレストラン、結婚式場として60年使用されました。
しかし、2021年6月30日に、多くのファンに惜しまれながら閉館しました。
【写真:太閤園 藤田観光ホームページより引用】
広大な敷地の半分を占めるのは、淀川から池泉を引き入れた池泉回遊庭園で、
小豆島や生駒山などから集めた自然の奇石、珍石が、庭石として使用されています。
また、庭園には、藤田家がコレクションした珍しい灯籠や古い石仏塔が点在し、
大阪市指定文化財の江戸時代の茶室「旧貴志邸茶室」が移築されています。
私が茶道を学んでいる藪ノ内流茶道・隨竹庵7代目・福田竹弌宗匠は
こちらの茶室でお茶会の亭主を務めたことがあります。
太閤園の庭園は、大阪市を代表する日本庭園の一つと称され、
太閤園は、大阪を代表する高級宴会場であり、国際社交場として名を馳せました。
2019年のG20大阪サミットでは、閣僚会議の会場として使われました。
日本建築と、和風庭園が素晴らしく、日本人だけでなく、海外の人にもとても人気でした。
私も、仕事関係で、海外からのお客さんを、何度かこちらのレストランで接待したものです。
庭園内を流れる小川沿いには、夏には蛍を鑑賞することができました。
また、庭園を華やかに彩るイルミネーションも実施されていました。
都心にありながら、小川のせせらぎの音を聞きながら、夜の庭園を散策できるのは、
広大な庭園を持つ太閤園ならではの贅沢でした。
失って初めて気がつく大事さとは、よく言ったものです。
太閤園の売却が発表されてから、たくさんの人が太閤園に押し寄せたそうです。
太閤園のように失ってからでは遅いのです。
私たちは滋賀県の登録有形文化財を大切に守っていきたいものです。
(写真・文 若林三都子)