「一人にして」
群衆から離れていれば、それで一人になれるわけではありません。
また、個性を発揮し、独自性を主張していても、
誠実に自分を追究していても、
やはりそれが直ちに一人になっていることを意味しはしません。
なぜなら、一人とは、自分の存在を主張することに伴う自覚ではなく、
自分の存在を否定することに伴う自覚だからです。
それは、自分を徹底的に問題にしてゆく妥協のなさに伴う自覚、
つまり罪の自覚にきわまるものに他なりません。
人間をこの自覚に導き、一人にして、そこにおいてのみ出会ってくださるのが、
神であります。
『灰色の断想』p25 藤木正三著
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