「個人として美しく」

 

 社会的実践がすべてのように思われる現代にあって、個人の生き方を美しく整えようとする努力は軽んじられがちです。

 

しかし、無関心無責任な時代に思いやり深く生き、

 

他の犠牲の上に繁栄を求める時代に自分を献げて奉仕に生き、

 

他をのみ批判するに急な時代にまず自分を冷静に省みつつ生きる、

 

そういう美しい生き方こそ、時代の病根をつくものではないでしょうか。

 

社会的実践は、こういう徳の実践によって克服されるべき醜さを内包していることを少なくとも自覚しているのでなければ、真に変革の力となりえません。

 

 

 

 

『灰色の断想』p24 藤木正三著

 

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