たとえば自意識過剰のような性格の歪は、人も不愉快でありますし、自分も苦しいものです。
直せるものなら直すにこしたことはありませんが、運命的とも思えるほどにそれに傷つき、直し得ない人もいます。
その時、それを担い、伴う苦しみに耐えて、人生を常人が及びもつかぬほどに深く見通す人がいます。
彼は居直っているのではないのです。
歪んでいるとはいえ、たった1回きりの人生を大切にしているのです。
この人生愛において、歪は昇華して、永遠をのぞきうる窓になるのでしょうか。
性格に限らず、なべて歪を直すべきものとしか見ないのは、謬見であります。
ekyoukaiは良い教会(ekyoukai.org)から転載