谷田茂
士農工商穢多非人(し・のう・こう・しょう・えた・ひにん)。
今はどうか知らないが、僕が中学校に通っていたとき、教科書に書いてあった。
京都府洛北八瀬に「八瀬童子」という人たちがいる。
「八瀬ことば」と呼ばれる八瀬独特の言い回しで「あんな」「こんな」と言うべきところを、彼らは
「あがな」「こがな」と話す。同じ意味のことを出雲の人が話すとき、
「あげな」「こげな」という。
金刀比羅宮の章でみたように、ニギハヤヒが統治した、愛媛県では、
「ありがとう」を「だんだん」と、出雲の人と同じ意味で使う。言葉は簡単には変わらない。
出雲の「雲」と伯耆の「伯」を取って、雲伯なまりと呼ぶが、このなまり、はるか離れた地でも使われている。
出雲族はなぜそんな遠くに住んでいるのだろう?
そして、八瀬にも出雲族は住んでいた。
「八瀬童子」として古来、朝廷に奉仕した。
八瀬童子について、Wikipediaを見てみよう。
「大 正元年(1912年)、明治天皇の葬送にあたり、喪宮から葬礼場まで棺を陸海軍いずれの儀仗兵によって担がせるかをめぐって紛糾し、その調停案として八瀬 童子を葱華輦(天皇の棺を載せた輿)の輿丁とする慣習が復活した。明治維新後には地租免除の特権は失われていたが、毎年地租相当額の恩賜金を支給すること で旧例にならった。
この例は大正天皇の葬送にあたっても踏襲された。
平成元年(1989年)、昭和天皇の葬送では棺は車輌によって運ばれることとなり、葱華輦は式場内の移送にのみ用いられることとなった。」
非人についての記述を見よう。
「江 戸においては、近世中期に穢多頭の浅草矢野弾左衛門の支配下に入った。弾左衛門の支配下には各地域ごとに非人頭がおり、非人を管理下においた。身分的には 穢多より非人は下位に置かれていたとされているが、これは江戸の事例であり、京都や大坂などでは穢多身分との支配関係はなかった。」
彼らは、古来より、高貴な方の穢れ、すなわち、死の場面において、活躍してきたのだ。
それは、人がする仕事ではなかった。だから、人に非なる者にその仕事をさせた。
八瀬童子。出雲族。突然出雲から移住してきたわけではない。
先に見たように、大和はニギハヤヒのものだった。
そして、古事記では、神武天皇はニギハヤヒの娘、ミトシに婿入りしている。
その後、大和朝廷はなぜか、譲ってもらった大和の拡大の過程において、
スサノオやニギハヤヒのような、緩やかな連合王国など目指さなかった。
蝦夷退治、熊襲退治に見られるように、殺戮と征服を繰り返したのだ。
出雲族は賤しい身分とされ、時に「鬼/オニ」「物/モノ」と呼ばれ、桃太郎の「鬼退治」のように、悪者として伝承させた。物部氏の末裔がどのように処遇されたかは、別の章で明らかにしよう。
ところで、エタを調べていると、ある神社の由緒書が、僕の目を点にした。
東京都多摩にある、小野神社。
正和二年(一三一三)秋七月、神主澤井佐衛門助藤原直久の誌した、『式内社小野神社由緒』によると、次のようにある。
「人皇三代、安寧天皇ノ御代、御鎮座、祭ル所天下春命大神也、此御神ハ、神代ニ有テ、天孫饒速日命、始テ河内國土哮ケ峰ニ降臨ノ時、天上ヨリ供奉随身シ玉フ三十二神ノ中、一神ニマシマシ、出雲臣祖、以下略」
さて、ここに出てくる、小野神社の祭神「天下春命(あめのしたはるのみこと)」
彼は饒速日命(ニギハヤヒ)とともに河内の国を治めるために降臨した三十二人のうちの一人だった。
その父親が天八意思兼命(アメノヤゴコロオモイカネノミコト)である。
兄は天表春命(アメノウワハルノミコト)といい、信濃の阿智神社、戸隠神社宝光社の祭神になっている。
川を挟んだ府中市にも、小野神社はある。
そして、この「天下春命」を小野神社に祀った人の名に注目。
天下春命の後裔、「兄多毛比(えたもひ)」
僕は言葉を失った。
ニギハヤヒの腹心は遥か関東まで追いやられ、その後裔の「エタモヒ」の名を貶め、最下層に置き、それが1千年をはるか超えて、今なお、被差別民の代名詞として使用されている。
この記述、物議を醸すであろう。
しかし、古代出雲王国。スサノオやニギハヤヒの名誉のため、敢えて発表する。
今、由なく差別されている方々を想う。
是非、誇りを持って頂きたい。
日本の文明のあけぼのを切り開き、民を思い、善政を敷き、征服することなく大倭国を築き、
人々から真の尊敬を集めた
スサノオ、ニギハヤヒ、イソタケル・・
あなた方は、本物のエリートの血を引いているのです。
出雲族こそ、真の日本の建国者なのです。と。
僕は昨日、ある政党の支部に出向き、被差別民について話し、聞いてきた。
彼は言った。
「要するに、差別意識をなくさなければならないんですよ」
差別と言うのは、そんな簡単になくなるものではない。
理由などないのだ。意識下に刷り込まれた、理不尽な気持ち。
そして、それが遠く平安の昔まで遡って意図的に出雲族に対して行われたことに怒りを感じずにはいられない。
「罪を憎んで人を憎まず」と言う。
けれど、僕は憎む。時と空間を超えて。
このような歴史的犯罪を犯した、遠い昔の見知らぬ人たちを。
そして、過去に飛んでいけるものなら、声を大きくして彼らに言いたい。
「あなたたちこそ、人で無しだ!」と。
54につづく