Uriwari_2


不覚にも、一目惚れしてしまった


近くのコンビニでアルバイトしている女の子


シフトは夕方6時から9時まで


僕は商品を袋に入れて手渡してくれるときの彼女の笑顔が見たくて


毎日ペットボトルの水を買いに行った


色んなメーカーのミネラルウォーターを、とっかえひっかえ買った


ある日、レジを打つ前、彼女から話しかけてきた


「ねえ」


僕はうろたえた コンビニの店員らしくない話し方だ いつもと違う


「え?なに?」


「毎日違う銘柄の水を買ってるわね」


「うん」


「理由を聞かせてくれないかしら どの水が一番おいしいのか知りたいわ」


「一番おいしい水はここにはないよ」


「あら、じゃあ、どこのメーカー?」


「売っていないんだ ある所に行けば飲める」


「へえ、どこなの?」


「それは、教えられない 僕と一緒に行くなら教える」


「それって、誘ってるの?」


「その通り」


「やはりね 私を見る目が違うと思ってた でも、今まで声をかけなかった」


「断られるのが怖かったのさ」


「へえ、いまどき珍しいわね 好感が持てるわ いいわ、連れてって次の日曜日は休みなの」


「ホント?じゃあ、8時に僕の家の前にきて稲妻のエンブレムの車が置いてある」


僕は家の場所を教えた


本当に来るのかどうか、日曜まで半信半疑だった


携帯の番号も聞いていない 名札から岡澤という苗字だということを知っているだけだ



日曜日、7時50分にガレージの前で待っていた 抜けるような青空だった


岡澤さんは8時きっかりにやってきた


ジーンズに真っ赤なパーカ 店では束ねている黒髪を下していた


「見違えたよ とても綺麗だ」


「あら、いつもは綺麗じゃないってこと?」


僕は笑って助手席のドアを開けた


「ねえ、下の名前はなんていうの?」


「羊子 ひつじの子よ」


「そうか、僕は丈」


「よろしくね、丈さん」


「こちらこそ さあ、出発しよう」



愛車は快調に走りだした 名神から湖西道路を走り、鯖街道を北上した


日本海が見えると、羊子は歓声を上げた


木が生い茂っている曲がり角を左にとり、パーキングに車を停めた


「さあ、ほんの少し歩くよ」


羊子は僕の前を歩きだした


すぐに左手に清流が見えた


大きな岩の間を透明な水が勢いよく流れている


羊子は立ち止ってため息をついた


「なんかここ、聖域みたい 鳥居が見えるけど、神社なの?」


「いや、天徳寺という寺だ 8世紀前半に泰澄という高僧が開いた

瓜が割れるくらい冷たいというので、瓜割の滝と呼ばれている

名水百選にも選ばれているんだ」

羊子は小さな岩の上に乗って両手で水をすくった


後ろ姿しか見えない もちろん飲んでいるのだろう


そのまま、1分以上羊子は動かなかった


「どうしたの?」


羊子は反応しない かがんだまま、なんだか体が小刻みに震えている


僕は様子を見守ることにした なにかあるんだろう



やがて羊子は振り返った。 が赤く腫れていた 泣いていたのだ


僕は羊子が話すのを待った



やがて羊子は口を開いた


「丈さん、ありがとう本当においしい水だわ

あのね、私、北海道の京極というところの出身なの

そこに、羊蹄山の湧水があって、いつもそこの水を飲んでいたわ

あの水と同じ味がする 羊子の羊は羊蹄山の羊

田舎がいやで、一人大阪に出てきたの
大反対された 言い合いになって、飛び出してきたの

だから、両親とは2年も連絡を取ってない

ここの水を飲んだらお父さん、お母さんを思い出しちゃった」


羊子の頬を涙が伝った


「電話したら」


僕は携帯を差し出した
携帯くらい羊子は持っているだろうけれど、なぜか、そうした


羊子はしばらくためらっていたが、やがて携帯を受け取り、ボタンを押しはじめた



僕は羊子から離れ、声が聞こえないところへ行って水を飲んだ


冷たかった そして、美味しかった


風が木々を揺らし、渓流を流れる音をただ、聞いていた



5分後、羊子が坂を上ってきた 晴れやかな顔をしている


「ありがとう 両親と仲直りできた 丈さんのお陰よ 来週帰ってくるわ」


「それはいい 親子水入らずで過ごしておいで」


「一人では帰りづらいわ 丈さん、一緒に来て」


「え?それは・・」


「本当は私、あなたが初めて店に来たとき、一目惚れしたのよ

そして、今、確信したわ 私、あなたを心から愛しています ずっと私のそばにいて」


「まいったな それは男から先に言うべきだ 僕も君を愛してる 一生離さない」


羊子は僕の胸に飛び込んできた



瓜割の滝の音だけが いつまでも二人を包んでいた


羊子がこの上なく愛おしくて、永遠とも思える時間、僕は羊子を抱きしめ続けた