よく言われることだが
キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝うのはおかしい、と
確かにそうだ
で、調べてみた
日本にクリスマスを持ちこんだのは進駐軍だろうと思っていたが
フランシスコ・ザビエルとともに伝来し
明治後期・日露戦争と第一次世界大戦の間には
キリスト教徒の行事という枠を超えて
既に日本文化となっていたらしい
では、12月25日というのはどうか
聖書の記述を見ると
ルカによる福音書 2章8-13(新共同訳)
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられた大きな喜びを告げる。今日のダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
イエス・キリストが1年のどの季節に生まれたのかは、断定できる資料がないそうだ
冬に羊飼いが「野宿」をして「夜通し群れの番」をするのは無理ではないか、という意見がある
イエス生誕が12月25日に決定されたのは、西暦336年のこと
12月25日にイエスが産まれたわけではない、と半年ほど前、ローマ法王が発言していた
クリスマスはペルシャのミトラス教徒が冬至を祝う祭りの名残りだ
太陽は冬至に向け、力を失ってくる
そして、冬至をさかいに復活を果たすのだ
太陽信仰だ
ペルシャ人達は冬至を太陽の死と再生の儀式として、何世紀も前から祝っていた
ローマ暦では12月25日はナタリス・ソリス・インビクティ(打ち勝ちがたき太陽の誕生日)にあたり
太陽神ミトラスが崇拝されていた
キリスト教がミトラス教徒を吸収する際、この日をイエスの誕生日と読み替える事でミトラス教徒を納得させたのだ
とはいえ、僕が子供のころから週間として祝ってきたこのお祭り
堅いこと言わずに楽しめばいいと思う
子供たちも恋人たちも楽しみにしている
因みに、クリスマスツリーのてっぺんの星は
イエスが生まれた町
ベツレヘムの星である
ミトラス(ミトラ)教については、WIKIPEDIAに詳しい
なお、この記事は松岡正剛氏の千夜千冊の過去記事の一部を引用した