「ゆずちゃん」という本をご存知ですか?

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ


肥田美代子 作   石倉欣二 絵



ゆずちゃんは、おおきなったら ふうせんやさんになるのやて。

せかいじゅうの子どもたちにふうせんくばって、みんなをはげますんやて。

てっかい ゆめやなあ——。

でも、とつぜんおそってきた大地震が、そんなゆずちゃんのゆめをふみつぶしてしまいました。

ゆずちゃんのいのちをふみつぶしてしまいました・・・。


阪神・淡路大震災で、かけがいのないいのちと大きなゆめをうばわれた少女ゆずちゃんのお話です。



そうですね、今日1月17日は、阪神淡路大震災が起こった日です。

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ



目を多いたくなる光景。

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ


日常が一瞬にして壊れてしまいました。

1995年1月17日午前5時46分



私達は未知の大震災を目の当たりにします。

いや・・人ごとのようでごめんなさい。

マイミクさんやコミュの方の中には、被災され、家族を亡くした方もいらっしゃいます。



まさか自分の家が、20秒揺れただけでこんなになってしまうなんて・・

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ


死者:6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名

災害に対して、ほぼ無防備になっていた日本。

こんな犠牲を払わなくてはならなかったんですね。



私はこの時・・・なぜか震災が起こる10分前に目を覚ましました。

妻がまだ生きており、「どうしたの?」と聞いてきたのを憶えています。

それから少しして揺れが始まりました。

山梨では震度2程度だったので、さほど驚かなかったけど、揺れの長さに「尋常な地震ではない」と思い、すぐにテレビをつけました。

間もなく、関西方面では巨大な地震だったことが解ってきました。

まさかこれほどとは・・・その時は思わなかった。




「ゆずちゃん」を読んでしまった私は、こちらの本を読みます。

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ


村上春樹による連作短編小説集『神の子どもたちはみな踊る』

三年ほど前には映画にもなったので、知ってる人も多いかな?

この短編集には6編の短編小説が収録されているが、そこには、阪神淡路大震災(1995年1月)と地下鉄サリン事件(同年3月)に挟まれた、1995年2月の出来事が描かれた。

村上春樹は次のように述べている。「その二つの出来事が示しているのは、我々の生きている世界がもはや確固としたものでもなく、安全なものでもないという事実である」


そうでしたね。

あの年にはサリン事件も起こったんだ。

感想はまた読んでからにしますね。
スタジオシフト代表の深澤竜也です。


当たり前のことをあらためて・・・


「年をとると涙腺が弱くなる」

よく聞く言葉ですが、その通りと感じている人も多いでしょうね。

私も同じく、涙腺が弱くなって困っています。

昨日なんかは、センター試験に向かう学生の姿を見ただけでこみ上げてきました

所構わずなので、本当に困ってしまいます。



この涙腺が弱くなるの「涙腺」とは目尻の上の方にあります。

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ


「涙腺が弱くなる」=「涙が出やすくなる」なのですが、どうも身体の衰えから、涙腺が弱くなることはないようです。

逆に涙が出ない事の方が、涙腺の詰りや鼻に涙が流れ込む量が多いなどの病のようです。



なんでこのような言葉になったのかを知るには、「涙もろい」からひもとくことができます。

「涙もろい」というと、人情深くて他人の痛みを我がことのように悲しむ人の姿が思い浮かびます。
反対に、無慈悲で人間らしさがない人は「血も涙もない」といわれます。


人情に厚い・・・つまり心理的な要因が大きく存在します。



「涙が出やすくなる」は人生経験を長く積んできたからこそ。

いろんな経験をしてきたから、物事に対して心がシンクロしてしまう。



冒頭に書いたセンター試験の学生にも、娘の昨年の姿を重ね合わせたから。


つまり子供の頃に涙がでなかったのは、経験をしていなかったから。

大人になっても同じ。
同じ景色を見ても、経験している人は泣ける、未経験の人は泣けない・・・ということになります。

ここが少し難しいところだけど、映像や書籍、そして周りに経験した人がいて、疑似体験をしている場合も泣けるんですよね。

それと「何かがきっかけで涙腺が弱くなった」こともあるでしょう。

人生を変えるような出来事があって、その時いろんな事を経験するからです。



だから涙腺が弱いのは、それだけの人生経験を積んでいるということです。

もちろん個人の持ち合わせているもので差はでるんだけどね。
スタジオシフト代表の深澤竜也です。


1月14日。

私たち家族が始まった日。



今日、2011年1月14日は私と亡き妻の21回目の結婚記念日。

なんでこんなに寒い時期に?

それは、当時私が働いていた会社が一番暇な時期であったこと。

なにより私の誕生日1月9日を過ぎて、二人が同じ歳になった後に結婚記念日を迎えられるから・・・そういう理由でこの日を選んだ。



21回目のうち、7回目までは一緒にいた。

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ


だからメモリアルキャンドルも7回目までは灯火がともされていた。

8回目以降は進むことがない。

ここで停まったきり・・・。

死別コミュで多くの人が、亡くしてから時間が止まるということを言ってるけど、それを写真として表しているキャンドル。



だけど本当に自分の時間は止まっていたのか?というと、常に動いていたことがわかる。


娘は5歳と3歳から、19歳と16歳になり、それぞれ大学と高校に進学。

お姉ちゃんは来年の今頃には成人式を迎えている。

私が止まっていなかった事の生きた証。

人間は決して止まることはできないのだと実感する。



でも、前に進んでいるか?と問われれば、果たして進んでいるのか?と思う。

死別した当初から体重が18キロ増えたけど、今はまたダイエットによって、元に戻った。

また若い頃のように恋愛をはじめたいと思う自分がいる。

結局、同じところをグルグル回っているだけなのか・・・いや死別してなくても、人生ってそんなものじゃないかとも思う。

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ



死別してから7年間、毎日通ったお墓。

今は命日や家族の誕生日、お彼岸、そして今日の結婚記念日など、何かある時だけ訪れるようになった。

「どうだ、体重元に戻っただろ?やる時はやるんだよ」などとお墓に向かって自慢する。

「リバウンドしなければスゴいけどね」と答えられたような気がする。



人間て不思議なもので、悪いことは忘れてしまうという脳を持っているようだ。

私たち夫婦もいつも仲良くしていたわけではなく、夫婦喧嘩などもしていたはず。

でも憶えていない。

楽しく、綺麗な思い出しか残っていない。

年が経てば経つほど、記憶は美化されていく。

そんなこともあって、死別者の新しい恋愛は難しい。

「居ない人には勝てない」と言われたこともある。

そんなつもりは毛頭ないのだが、相手がそう思ってしまう。

自分の力が・・・言葉が・・・それとも愛が足りないのか・・・若い頃のようには愛を表現できないこともある。



しかし、その美しい記憶も薄れてきている。

14年も経てばそんなものか・・・。




あの頃は幸せだった。

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ


子供を幼稚園に迎えにいった、その帰りのこんな風景を見ても辛くなった時がある。

いや今でもちょっと辛いけど、微笑ましく見れるようになった自分がいる。


「あの頃は幸せだった」・・・今から10年後、今の自分を振り返ったら、同じことを言ってるかもしれない。

娘達が大きくなって、その成長を見ているだけでも幸せを感じる。




でも今から10年前の自分を振り返ると、とても幸せと言える状況ではなかった。

生きることに必死で、次から次へと起こる不幸の連鎖に、心身がついていかなかった。

自分にとって死別後から7年間は、「失われた7年」だったと思う。



だけどそこを越えてから、幸せを感じられるようになった・・・そして今がある。



今日の仏壇には4本の線香をあげた。

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ



いつもは私と娘二人の3本が立っているが、今日は家族4人分。

今日が私達家族の始まった日だから。



今日は特別な日にしか自分に許していないワインを呑もう。

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ


今日ぐらい二人で呑みたい。



そして妻を送ってから灯したことのないキャンドルの灯。

$スタジオシフト代表 深澤竜也のブログ


一気に21年まで埋めてしまおうか・・・。

やっとこのキャンドルを押し入れから出すことができたのだから。

14年分を一気に埋める。

それがやっとできるようになった。

一気に時間を取り戻そう。