今日は5人で マットも2組あったので 休憩すくなめでスパーできたので 終わった今は腰いたい^^;
手首はケトルトレーニングずっとしてるからか慢性的に痛い(汗
柔術の動きでゆうと自分のパスガードの動きに課題がありまくりだなあ。
また研究して来週がんばろう♪
こうゆうトレーニングワイルドで楽しそう♪
軸を鍛えるのにいいね♪
これは原始的だが 最新ぽいなあ。でも高そうだ(汗)
これならフローリングで つるつるなタオルつかえば 超安い?
ツイスト運動の時代がまたくるかも?
本屋にいったら 今付録つきフィットネス本おおいね。
特にチューブトレーニングのやつ。
チューブは危険すくなくてお奨めだな。
でもネコいる家はきびしいね。
いままでストロングなチューブ3本 ビリー用チューブ2本 うちのネコに噛み切られてヨダレまみになったものね。
ネコはゴムが好きなのかもね☆
寝る前にヨガのポーズ3個くらいしよっと(一番お徳だね)
http://plaza.rakuten.co.jp/no23nit/diary/201111090000/
いま巨大な圧力でブログまるごと消したりする現象がツイッターで見られるから、早めに見てね☆
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そしてピザさえも届くのだから。
しかし、これに心穏やかでないのが経産省を始めとする国家権力である。
このひろばの利用に関しては、経産省当局と利用についての話し合いがなされており、純然たる民事の案件であるため、警察は公然とは動けない、そこで警察の別働隊「右翼」が登場する。
6日の右翼による暁の急襲を皮切りに、警察の庇護のもとに右翼はテント村に対する攻勢を強めている。
昨日も、穏やかな宵を迎えるかに見えた午後6時頃、十数人の制服警官がテント村周辺に展開した。
テント村も警戒を強めているところに、街宣車とともに右翼が登場した。
さすがに大音量の街宣はかえって逆効果だとの学習効果が働いたようで、今回は話し合いとのことであった。
勿論、話し合いとは名ばかりのやくざのイチャモン付けであり、早々にお引き取りいただいた。
右翼
しかし、話はここから始まった。
無断で我々をビデオ撮影していた右翼が、カメラを落としカメラが壊れたと警察に言ったようである。
無論、実際に落としたわけでも壊れたわけでもなく、警察・右翼の内密の話し合いでそんな展開に決まったのであろう。
ついては、その間、右翼ともみあいをしていたBさんに事情を聞きたいと、警官隊が、テント内に大挙して乱入してきたのである。
右翼自らが、落としたといっているのだから、Bさんには何の責任もないのが明らかだが、とにかく事情を聞きたいので一緒に来てくれと強引にBさんを拉致しようとする。
警官隊
任意同行して逮捕するのが警察の常套手段であり、何の犯罪を犯していない仲間を国家権力にわたすわけにはいかないので、テント内部では緊迫したやりとりが続いた。
警察のやり口はまるでヤクザ並みのごり押しであり、そこには公権力としての何の正当性もない。
こちらとしても、それでは弁護士を呼ぶと言えば、5分以内に呼べとの無理難題を吹っ掛けてきた。
そうこうしている内に、弁護士が到着した。
こうなれば、もう警察も引き下がるしかない。
まだまだ、周囲はざわめいており、興奮したやりとりはあちこちで続いていたが
とにかく、山場は何とか越したのである。
これからも明らかなように国家権力は、「反原発」を口実にテント村を潰せないいや潰したくないのである。
そうすれば、そのこと自体が、日本の反原発運動という導火線に火をつけることなるのが分かっているからだ。
それに、日本は反原発運動を警察力を使って潰したという評価が国際的に下されるのが怖くもあるのだ。
右翼と連動した警察の圧力はテント村潰しの策動は、これからも続くものと思われます。
反原発運動の拠点でもあり象徴的存在でもある経産省前テントひろばを守り抜くため、皆さんの力を貸して下さい。
心を、テントひろばに寄せてください。
例え、1時間でも10分でもいい
テントひろばに顔を出して激励して下さい。
それがテントひろばの存続につながります。
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そしてピザさえも届くのだから。
しかし、これに心穏やかでないのが経産省を始めとする国家権力である。
このひろばの利用に関しては、経産省当局と利用についての話し合いがなされており、純然たる民事の案件であるため、警察は公然とは動けない、そこで警察の別働隊「右翼」が登場する。
6日の右翼による暁の急襲を皮切りに、警察の庇護のもとに右翼はテント村に対する攻勢を強めている。
昨日も、穏やかな宵を迎えるかに見えた午後6時頃、十数人の制服警官がテント村周辺に展開した。
テント村も警戒を強めているところに、街宣車とともに右翼が登場した。
さすがに大音量の街宣はかえって逆効果だとの学習効果が働いたようで、今回は話し合いとのことであった。
勿論、話し合いとは名ばかりのやくざのイチャモン付けであり、早々にお引き取りいただいた。
右翼
しかし、話はここから始まった。
無断で我々をビデオ撮影していた右翼が、カメラを落としカメラが壊れたと警察に言ったようである。
無論、実際に落としたわけでも壊れたわけでもなく、警察・右翼の内密の話し合いでそんな展開に決まったのであろう。
ついては、その間、右翼ともみあいをしていたBさんに事情を聞きたいと、警官隊が、テント内に大挙して乱入してきたのである。
右翼自らが、落としたといっているのだから、Bさんには何の責任もないのが明らかだが、とにかく事情を聞きたいので一緒に来てくれと強引にBさんを拉致しようとする。
警官隊
任意同行して逮捕するのが警察の常套手段であり、何の犯罪を犯していない仲間を国家権力にわたすわけにはいかないので、テント内部では緊迫したやりとりが続いた。
警察のやり口はまるでヤクザ並みのごり押しであり、そこには公権力としての何の正当性もない。
こちらとしても、それでは弁護士を呼ぶと言えば、5分以内に呼べとの無理難題を吹っ掛けてきた。
そうこうしている内に、弁護士が到着した。
こうなれば、もう警察も引き下がるしかない。
まだまだ、周囲はざわめいており、興奮したやりとりはあちこちで続いていたが
とにかく、山場は何とか越したのである。
これからも明らかなように国家権力は、「反原発」を口実にテント村を潰せないいや潰したくないのである。
そうすれば、そのこと自体が、日本の反原発運動という導火線に火をつけることなるのが分かっているからだ。
それに、日本は反原発運動を警察力を使って潰したという評価が国際的に下されるのが怖くもあるのだ。
右翼と連動した警察の圧力はテント村潰しの策動は、これからも続くものと思われます。
反原発運動の拠点でもあり象徴的存在でもある経産省前テントひろばを守り抜くため、皆さんの力を貸して下さい。
心を、テントひろばに寄せてください。
例え、1時間でも10分でもいい
テントひろばに顔を出して激励して下さい。
それがテントひろばの存続につながります。
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http://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-11070087561.html
祝島漁師の意見陳述
中国電力が祝島島民2人、カヤック隊の2人を上関原発の建設工事を妨害したとして、2009年12月から4800万円損害賠償の訴訟を起こしています。訴えられた祝島の漁師の橋本久男さん。橋本さんから意見陳述書(原告に対する被告からの意見)の原稿を貸して頂き、文字おこししをしました。約30年間にもなる上関原発の反対運動をどういう想いでやっていたのか、ここに祝島に生きる一人として書いています。とても心に訴えられる意見陳述です。是非、読んで下さい。金ちゃん
↑に載せている映像は2009年11月から田ノ浦で始まった、上関原発の為の海の埋立工事です。損害賠償4800万円は、このときに工事を妨害された中電の損害ということで請求されています。
意見陳述書
被告 橋本 久男
私は、この訴訟で被告の一人とされている橋本久男です。
1967年に祝島中学校を卒業してから島を離れ、島外での仕事に従事してきました。
1978年からは、祝島に住所を戻し、岩国で配管業に従事しました。岩国での配管業の仕事は9年に及び、その期間には岩国発電所や下松発電所などの火力発電所の配管作業へも携わりました。中でも私の人生に大きな影響を与えたのが、1981年に、福井県敦賀市の原子力発電所、敦賀発電所2号機で、配管作業に従事したことでした。このとき、敦賀発電所2号機では、一般排水口からの放射能物質漏れ事故をおこしており、3週間という短い期間でしたが、赤い作業服を着て、炉心に近い場所で作業したことを覚えています。
胸に放射線を探知するアラームを携行しての作業は、いつも恐怖と隣り合わせでした。ひどい時は10分ほどでアラームが鳴り、退場しなくてはなりません。また、作業従事者には被曝手帳もつくられ、精密検査も行われました。この検査で、一緒に従事していた人も含めて、白血球の数が異常に減少していたことを覚えています。この経験は、原子力に対する恐怖心を植え付けたものでした。また、原子力の危険性と、常に被曝者を生み出していることを痛切しました。その後、原子力発電所での仕事を続けることへの恐怖心から、途中で仕事を引き上げました。それ以降も、原子力発電所での作業の話が何度かありましたが、行く気にはなりませんでした。被曝者を生む原子力は、平和利用できません。私たち生命は、原子力と共存できないのです。
その翌年1982年に、上関町で原子力発電所建設計画が持ち上がりました。当時、敦賀発電所で作業に従事していたことから、祝島共同漁業組合の理事をしていた父・橋本友治から、原子力発電所について話を聞かれました。私は、危険性や恐ろしさを話したのを覚えています。ましてや、計画地が生活しているすぐ目の前であり、豊かな漁場であるため、絶対に建たせてはならないと父に話しました。
その後、祝島では「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の前身である「愛郷一心会」が立ち上げられ、父も中心的に原発建設の反対運動を続けていました。その4年後、父は志半ばで、他界しました。とても無念でした。そのようなこともあり、私は父が他界した翌年の1987年に祝島に戻り、父の漁を継ぎ漁師になりました。それ以降、今に至るまでの23年の間、たてあみ漁・タコつぼ漁・イカス漁・素潜りなどの漁業に従事し、海の恵みを受けて生きてきました。私たちは漁業補償金を拒否し、海の恵みで生きることを選びました。私たちの権利は、お金や権力によって奪えるものではありません。私たち祝島漁民は、海を売ってはいないのです。
昨年9月からはじまった埋め立て工事に対して私たちは、自分たちの生活や海を守るために、漁船を連ね、連日にわたり海上で抗議してきました。対して中国電力は「一次産業では生活していけなくなる」という暴言を言い、漁船名や人名をマイクで読み上げ、個人攻撃をするなど非人道的な行動をとってきました。その行為に対して、私たちは非暴力の意思表示を貫きました。
海で生きている私たち漁師にとって、田ノ浦の海を埋め立てられることは死活問題です。これまで長い間、先祖代々、守り継いできた生活や命のつながりを断たれることになります。さらに原子力発電所が建設され運転が開始されることになれば、大量の温排水や塩素の影響で周辺は死の海になります。他の原発のように事故が起これば、離島の私たちは孤立してしまいます。閉鎖性水域である瀬戸内海に原子力発電所を造ることは、瀬戸内海全域の自然の生態系と漁師の生活を根底から壊すものです。
私たちは、原子力発電所計画が持ち上がった当初から、一貫して正当な理由を持ち、原子力発電所建設を反対してきました。それに対して中国電力は、巨額な利権と、強大な権力を使って、地元住民のつながりを破壊し、生活を圧迫して、計り知れない多大な損害と疲弊をもたらしてきました。私たちは、自分たちの生活を不当に侵害する中国電力に対して、非暴力で抗議してきたにすぎません。地元住民である私たちを、自分たちの利益追求のために、損害賠償で押さえつけること自体、間違っていることではないでしょうか。私を含め被告とされている4人がこのような損害賠償を請求される覚えはありません。
私は生まれ育った故郷の上関の海を誇りに思っています。原子力とこの美しい命の海は、決して共存することはできません。私にはこの祝島で安心して暮らす権利があります。私たち漁師には海を守り、受け継いでいく責任があります。地元住民を権力で押さえ付ける中国電力には、私たちの生活や命の海を犯す権利はありません。
私たちは、計画が取り下げられるまで非暴力かつ正当な反対運動を続けていきたいと考えています。
http://hungerstrike.jimdo.com/
祝島漁師の意見陳述
中国電力が祝島島民2人、カヤック隊の2人を上関原発の建設工事を妨害したとして、2009年12月から4800万円損害賠償の訴訟を起こしています。訴えられた祝島の漁師の橋本久男さん。橋本さんから意見陳述書(原告に対する被告からの意見)の原稿を貸して頂き、文字おこししをしました。約30年間にもなる上関原発の反対運動をどういう想いでやっていたのか、ここに祝島に生きる一人として書いています。とても心に訴えられる意見陳述です。是非、読んで下さい。金ちゃん
↑に載せている映像は2009年11月から田ノ浦で始まった、上関原発の為の海の埋立工事です。損害賠償4800万円は、このときに工事を妨害された中電の損害ということで請求されています。
意見陳述書
被告 橋本 久男
私は、この訴訟で被告の一人とされている橋本久男です。
1967年に祝島中学校を卒業してから島を離れ、島外での仕事に従事してきました。
1978年からは、祝島に住所を戻し、岩国で配管業に従事しました。岩国での配管業の仕事は9年に及び、その期間には岩国発電所や下松発電所などの火力発電所の配管作業へも携わりました。中でも私の人生に大きな影響を与えたのが、1981年に、福井県敦賀市の原子力発電所、敦賀発電所2号機で、配管作業に従事したことでした。このとき、敦賀発電所2号機では、一般排水口からの放射能物質漏れ事故をおこしており、3週間という短い期間でしたが、赤い作業服を着て、炉心に近い場所で作業したことを覚えています。
胸に放射線を探知するアラームを携行しての作業は、いつも恐怖と隣り合わせでした。ひどい時は10分ほどでアラームが鳴り、退場しなくてはなりません。また、作業従事者には被曝手帳もつくられ、精密検査も行われました。この検査で、一緒に従事していた人も含めて、白血球の数が異常に減少していたことを覚えています。この経験は、原子力に対する恐怖心を植え付けたものでした。また、原子力の危険性と、常に被曝者を生み出していることを痛切しました。その後、原子力発電所での仕事を続けることへの恐怖心から、途中で仕事を引き上げました。それ以降も、原子力発電所での作業の話が何度かありましたが、行く気にはなりませんでした。被曝者を生む原子力は、平和利用できません。私たち生命は、原子力と共存できないのです。
その翌年1982年に、上関町で原子力発電所建設計画が持ち上がりました。当時、敦賀発電所で作業に従事していたことから、祝島共同漁業組合の理事をしていた父・橋本友治から、原子力発電所について話を聞かれました。私は、危険性や恐ろしさを話したのを覚えています。ましてや、計画地が生活しているすぐ目の前であり、豊かな漁場であるため、絶対に建たせてはならないと父に話しました。
その後、祝島では「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の前身である「愛郷一心会」が立ち上げられ、父も中心的に原発建設の反対運動を続けていました。その4年後、父は志半ばで、他界しました。とても無念でした。そのようなこともあり、私は父が他界した翌年の1987年に祝島に戻り、父の漁を継ぎ漁師になりました。それ以降、今に至るまでの23年の間、たてあみ漁・タコつぼ漁・イカス漁・素潜りなどの漁業に従事し、海の恵みを受けて生きてきました。私たちは漁業補償金を拒否し、海の恵みで生きることを選びました。私たちの権利は、お金や権力によって奪えるものではありません。私たち祝島漁民は、海を売ってはいないのです。
昨年9月からはじまった埋め立て工事に対して私たちは、自分たちの生活や海を守るために、漁船を連ね、連日にわたり海上で抗議してきました。対して中国電力は「一次産業では生活していけなくなる」という暴言を言い、漁船名や人名をマイクで読み上げ、個人攻撃をするなど非人道的な行動をとってきました。その行為に対して、私たちは非暴力の意思表示を貫きました。
海で生きている私たち漁師にとって、田ノ浦の海を埋め立てられることは死活問題です。これまで長い間、先祖代々、守り継いできた生活や命のつながりを断たれることになります。さらに原子力発電所が建設され運転が開始されることになれば、大量の温排水や塩素の影響で周辺は死の海になります。他の原発のように事故が起これば、離島の私たちは孤立してしまいます。閉鎖性水域である瀬戸内海に原子力発電所を造ることは、瀬戸内海全域の自然の生態系と漁師の生活を根底から壊すものです。
私たちは、原子力発電所計画が持ち上がった当初から、一貫して正当な理由を持ち、原子力発電所建設を反対してきました。それに対して中国電力は、巨額な利権と、強大な権力を使って、地元住民のつながりを破壊し、生活を圧迫して、計り知れない多大な損害と疲弊をもたらしてきました。私たちは、自分たちの生活を不当に侵害する中国電力に対して、非暴力で抗議してきたにすぎません。地元住民である私たちを、自分たちの利益追求のために、損害賠償で押さえつけること自体、間違っていることではないでしょうか。私を含め被告とされている4人がこのような損害賠償を請求される覚えはありません。
私は生まれ育った故郷の上関の海を誇りに思っています。原子力とこの美しい命の海は、決して共存することはできません。私にはこの祝島で安心して暮らす権利があります。私たち漁師には海を守り、受け継いでいく責任があります。地元住民を権力で押さえ付ける中国電力には、私たちの生活や命の海を犯す権利はありません。
私たちは、計画が取り下げられるまで非暴力かつ正当な反対運動を続けていきたいと考えています。
http://hungerstrike.jimdo.com/



ポーチはアイフォンでもいれるかな。

