http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4711.html
大津いじめ自殺で木村束麿呂(父はPTA会長木村真束、母は女性団体連合会会長)、山田晃也、小網健智(祖父は警察OB)の実名がフジで流れる・担任の森山進は韓国、ハングル担当・他殺の可能性高い・滋賀県ぐるみで隠蔽
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リンクで飛ぶと顔写真とかリークされてるけど、加害者や 先生 警察 文部省 教育委員会 知事と原発と政府に似たものを感じるよ。
いじめとゆう虐殺がなくなりますように☆
ご冥福をお祈りします。
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/
木田節子さん、58歳。原発立地町の富岡町で暮らしていた。息子さんは原発作業員として働いている。原発事故後、警戒区域にされたために、家に帰ることができず、茨城県水戸市で避難生活を送る。
木田さんは、家と故郷を失ったショックと避難生活の中で、引き籠りになっていた。その木田さんが、ひとつの講演をきっかけに、「原発は間違い」と確信し、再稼働に反対する行動を始めた。つい5カ月ほど前のことだ。
帰れなくなっている故郷への強い思い、原発の是非をめぐって意見の合わない息子さんとの葛藤、いままで真実を知らされてこなかったことへの悔しさ。原発立地地域から、声をあげ始めた人の言葉は、聞く者の心を揺さぶる。
【6月30日~7月1日、いわき市内でおこなわれた「ふくしまフォーラム」での木田さんの発言と、木田さんへの取材でうかがったお話を、筆者の責任で整理・編集した】
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家も故郷も失って
私は、福島第二原発のある富岡町に住んでいました。
岩手から嫁に来ました。34年前です。最初は原町(現在の南相馬市原町区)に住みました。その後、夫の転勤でいわき市に移り、それから富岡に家を建てました。それが、20年前。
20年間住んだ家は、いま警戒区域になっています。
夫の勤務が水戸で、夫と私と娘は、水戸に避難して、昨年4月から会社の社宅に入りました。息子は、富岡から、川内村、三春町、磐梯熱海、そして原発繋がりで柏崎まで避難しました。
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(富岡町と楢葉町にまたがる福島第二原発の集合排気塔)
◇夢の中で
震災のとき、私は東京にいた娘のアパートに来ていて、富岡の家にいませんでした。地震の後も風呂に入ったし、ご飯も普通に食べていました。だから、なんか自分ばかりが、安全なところにいて、避難場所を転々とした夫や息子に申し訳ない。「あのときになんで富岡にいなかったんだろう」と、ずっと後悔をしています。
岩手県の釜石に親戚がいますから、親戚もたくさん亡くなっているだろうと思いました。南三陸町の友だちは、お母さんを亡くしていました。
でも、震災以降、引き籠りになっていて、行きたくても行けませんでした。
「ああ、うちは家族4人、何とか命があるんだから、家はもうあきらめるしかないかな」とも思うようにしました。
それで、何とか前に進もうと思って、宮城県でガレキ撤去のボランティアに、夫と参加してみたり、いろいろなことに挑戦してみました。だけどやっぱり、何かね、できないんですよね。長続きしない。
夜、布団の中で目を閉じると、「ああ、家に帰りたいなあ」と思って、そのうち、妄想の中で、車を運転するんです。
避難している水戸から富岡までは遠いいんです。いわき中央インターまで高速で行って、それから慣れ親しんだ6号線を走ると、四倉港が右手に見える。次に、お仲人さんが住んでいる久之浜の街。津波に流された光景が右手に見える。そして、広野から楢葉に向かう途中に焼き餅屋さんがあって、「お世話になったな」とか。それからトンネルと坂を越えて、富岡の街に入って、自分の家の玄関に着いた。
そしたら、鍵を忘れたことに気づくんですね。
でも、幽体離脱というか、入れるんじゃないかと思って、すっとはいったら、入れた。夢の中ですから。
1階から2階と、グルグルとさまよい歩いて、息子の部屋を見て、「いま息子はどこにいるんだろうか」とか、そんなことを考えているうちに、ふと目を開けると、そこには、避難している水戸の家の天井がありました。
涙が出て仕方がありませんでした。
そんなことが続いて、引き籠りになっていたんです。
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(警戒区域にされている富岡町の町場。国道6号線上を南に向いている)
知らなかった反省と悔しさ
知らないことが多すぎたのです。本当に、都会の人も、原発のことを知らなかった。申し訳ありませんが、私も、富岡に20年住んでいて、知りませんでした。
バスガイドをしていましたので、東電の仕事もしましたよ。東電の仕事でバスに乗務すれば、一所懸命、おべんちゃらもいいます。
ただ、いろんな疑問は持ったりしていました。
六ヶ所村にもガイドでいきました。先祖代々の土地を二束三文で売ってしまい、入ったお金も使ってしまって、最後は家族は離散。そういう人の話もあるんです。六ヶ所村の人たちがみんなものすごいお金持ちと思われていますが、そうとは限らない。ガイドでいったとき、乗客にそんな話もしてきました。
でも、自分が住んでいる富岡近辺の原発については、考えることはなかった。反省というか、申し訳ないという気持ちです。
◇きっかけは
震災以降ずっと引き籠っていましたが、その間、広瀬隆さんや鎌田慧さんや小出助教の本などをたくさん読みました。
そんなとき、今年2月、避難先の水戸から16キロのところにある東海第二原発を再稼働させようという動きが始まっていたんですね。
娘が「行ってみたら」というので、2月12日、東海村の村長さんの講演を聴き、福島大学の先生のお話を聞きました。
それからです。「あなたは、あなたの大切な夫、息子に、原発で働けと言えますか。私は言えません。原発作業員の母より」と書いたプラカードを掲げて、デモに参加したりするようになりました。いまは、もう、首相官邸前でマイクなんかもったりしています。大飯町にも、福島の女性たちといっしょに訴えに行ってきました。
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息子は原発作業員
私の息子は、いま30歳。原発の作業に入ったのは、19歳から。もう10年です。
息子は、現在、福島第二原発の近くに事務所のある原発関連会社に勤めています。そこに勤めて2年です。
その前は、4次請けか5次請けの会社です。時々、息子の部屋の掃除をしているときに給料明細が出てきたんですけど、8年間勤めて、28歳なのに給料は17万円ぐらいでしたね。
その後、最初の会社を辞めてから、源泉徴収票が送られて来ました。それを見た息子が、「俺、ボーナスなんかもらってないのに、ここに8万円って書いてある」って。そういうもんなんですね。
もう少し給料のいいところをということで、今の会社に移りました。その会社は、勤めて2か月で、ボーナス10万円をもらいました。給料も、そこそこになったのではないかなと思います。
◇いやあ、危なかったよ
息子からは、原発のことをいろいろ聞きました。
一昨年、「トラブル発生で、今日は帰れません」ってメールが来ました。翌日、帰ってきたとき、「どうしたの?」ってきいたら、「いやあ、危なかったよ。やっと止まった」って。原発が「危なかった」とか、「やっと止まった」ってどういうことですか。〔※〕
それから、原子炉の中に、ペンチだとか、何かが落ちるそうですね。東電の社員に、「水の中にあんなにいろいろ落ちていて、いいんですか?」っていったら、「余計なことを言うな」って、怒られたそうです。
そして、そういった落ちたものを、人間が拾ってくるんですって。「どんな格好して入るの?」って聞いたら、「潜水夫みたいな恰好。一人では被れない鉛の帽子で。それから何十キロもある鉛のスーツを着て。そうやってあの高線量の(原子炉水の)中に入る」って。日本人は(線量が高すぎて、法律上)できないので、外国人が日本に来て、一回潜っただけで100万とか200万とかと稼いでいくそうです。
〔※2010年6月の福島第一原発2号機の水位低下事故か〕
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(今年2月から書き始めてノートが4冊になった。考えたこと、しゃべりたいことを書きためている)
◇収束作業
震災後、息子は、東電に出向です。
東電に出向というと聞こえはいいですが、警戒区域の線量計測、スクリーニングの立ち会い、やがては福島第一原発のガレキ撤去とか…。
東電は、社員を被ばくから守るために、協力企業に要員を出させる。それを断ると、「仕事を回さないぞ」と言われるので出すしかない。それでうちの息子が行くことになった。こんな構図だそうです。
息子を取り戻したい
震災後しばらくの間、息子が水戸に来たときには、好きなものを食べさせてあげて、酒も飲んで、楽しく過ごしていました。
だけど、今年の正月明け、全国の原発の再稼働の話が出たとき、「全く、この国は懲りない国だよね。福島でこんなことをしておきながら、再稼働だって」と、息子がご飯を食べているそばで言ったら、息子が、「それでも、この国は資源がないから、原発がないとだめなんだよ。お母さん」って言うんですね。
私は、震災後、広瀬隆さんとかの本をたくさん読んでましたから、「だから、お前はバカなんだ」って言いました。それで、息子のマインドコントロールを解きたくて、原発がいかに間違っているかということをこんこんと話しました。そして、「読め」って言って、本も買って持たせてやったんです。
だけど、たぶん、読んでない。読んでいれば、原発作業員が、政治家や電力会社や学者に利用されているということが、わかったはずですよ。
でも、息子は、原発問題について、勉強をしないんです。何で勉強しないか。怖いからですよ。怖いから勉強をしないんですよ。
だから、いまでも、思いは通じないんですよね。
私の話がうるさくなったのか、息子は、避難先に来なくなりました。
日本の原発というのは、60年ぐらい前に、政治家と科学者と電力会社がもうかるように最初からつくられた構図だったんですね。でも、問題は、原発の末端の労働で被ばくすること。そこで、政治家や電力会社の幹部たちは、「田舎に原発をつくって、地元で雇用して、そいつらにやらせればいいじゃないか」って言ったというのですね。本で読みました。
「被ばくする作業は、こいつらにさせればいいじゃないか」って言われている。そんな風に言われていることも知らないで、息子は10年も原発で働いている。しかも、原発が爆発して自分の住むところも追われている状態なのに、「日本には原発が必要だ」なんて、息子は言っている。
そういうのが、とっても悔しいのです。
◇あきらめずに
その後、私がデモや集会に参加するようになって、発言などをして、それがネットなどで紹介されているのを息子が知って、「何でお母さんが、首相官邸前でマイクなんかもって、しゃべっているんだよ」って、娘のところに電話してきたそうです。娘は、「お兄ちゃんが、原発で働いているからだよ。お母さんは、息子を取り返したいって思って、やっているんだよ」って。
でも、私と息子は、今も分かりあっていません。対立したままです。でも、あきらめず対話を続けて行くつもりです。私の活動は、息子を取り戻すためにやっているんです。それまであきらめずに続けて行きます。
白血病・悪性リンパ腫
息子は、中学2年のときに、悪性のリンパ腫を発症しました。1年間、東京・築地のがんセンター(国立がん研究センター中央病院)で治療して助かりました。
「10年経ったら、大丈夫。普通に子どもはできるから」と言われて、25歳のときに結婚したんですけれど、残念ながら、子どもには恵まれませんでした。
その後、「どうしても子どもがほしい」という奥さんと気持ちが合わなくて、結局、離婚してしまいました。息子の奥さんのことを、私は大好きだったので、とても悲しかったんですけど、うちの息子と別れて他の人と結婚して幸せになれるんだったら、「仕様がないよ。別れるしかないね」ということで、認めたんですね。
うちの息子は悪性リンパ腫でしたが、実は他にも、そういう話があります。
今年の1月か2月、娘の友だちが水戸に遊びに来たんです。その子に、「あれー、お兄ちゃんいたよね。お兄ちゃん元気?」って聞いたら、「死んじゃったよ」って。白血病で亡くなったそうです。その子のお兄ちゃんはたぶんうちの息子と同じくらいの年。
それから、娘が同級生の人たちと仮設住宅でボランティアをやっているんですが、その一人の男の子も白血病で、いま再発中。
さらに、うちの息子が退院して、2年ぐらいあとに、50メートル先の家の子が、白血病になった。
その3年か4年以内に、同じ小学校の子が、心臓疾患で外国に行って移植手術を受けています。
富岡町のそれも半径3キロぐらいの狭い範囲で、3人の子どもが白血病、うちの息子が悪性リンパ腫で、1人が心臓疾患。これはどういうことでしょうか?
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残りの人生かけて
58年の人生で、57年間、原発の問題に気が付かず、去年の3・11まで、考えなかったことは、申し訳なかったと思います。でも、いろいろわかってきたら、黙っていられないんですね。
娘は、「お母さん、そんなに頑張ったって、どうせこの国は原発を再稼働するんだよ。お母さんが頑張っても通じないよ」と言いながら、応援してくれています。友人は、「どうせ、都会の人は、関心を持たないよ。私たちが、どんなに言ったって駄目なんだよ。福島がこれだけのことになっても、わからない人はわからない」と言っています。
でも、「50代以上の人間で、絶対に、原発にケリをつけてやる。これにケリをつけないと死ねないぞ」と思ってやっています。
それに、福島で起こったことを、福島の人間が伝えなければ、福島の犠牲は報われません。
原発は、必ず止まります。それは、第二、第三のフクシマが起きたときか、人間の知恵と理性で止めたときです。
電力会社のみなさん、政治家のみなさん、マスコミのみなさん、国民のみなさん、あなたはどっちを選びますか?
たしかに、まだ小さい運動かもしれませんけれど、みなさん、毎週金曜日の東京に来て下さい。首相官邸前に集まって下さい。 (了)
木田節子さん、58歳。原発立地町の富岡町で暮らしていた。息子さんは原発作業員として働いている。原発事故後、警戒区域にされたために、家に帰ることができず、茨城県水戸市で避難生活を送る。
木田さんは、家と故郷を失ったショックと避難生活の中で、引き籠りになっていた。その木田さんが、ひとつの講演をきっかけに、「原発は間違い」と確信し、再稼働に反対する行動を始めた。つい5カ月ほど前のことだ。
帰れなくなっている故郷への強い思い、原発の是非をめぐって意見の合わない息子さんとの葛藤、いままで真実を知らされてこなかったことへの悔しさ。原発立地地域から、声をあげ始めた人の言葉は、聞く者の心を揺さぶる。
【6月30日~7月1日、いわき市内でおこなわれた「ふくしまフォーラム」での木田さんの発言と、木田さんへの取材でうかがったお話を、筆者の責任で整理・編集した】
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家も故郷も失って
私は、福島第二原発のある富岡町に住んでいました。
岩手から嫁に来ました。34年前です。最初は原町(現在の南相馬市原町区)に住みました。その後、夫の転勤でいわき市に移り、それから富岡に家を建てました。それが、20年前。
20年間住んだ家は、いま警戒区域になっています。
夫の勤務が水戸で、夫と私と娘は、水戸に避難して、昨年4月から会社の社宅に入りました。息子は、富岡から、川内村、三春町、磐梯熱海、そして原発繋がりで柏崎まで避難しました。
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(富岡町と楢葉町にまたがる福島第二原発の集合排気塔)
◇夢の中で
震災のとき、私は東京にいた娘のアパートに来ていて、富岡の家にいませんでした。地震の後も風呂に入ったし、ご飯も普通に食べていました。だから、なんか自分ばかりが、安全なところにいて、避難場所を転々とした夫や息子に申し訳ない。「あのときになんで富岡にいなかったんだろう」と、ずっと後悔をしています。
岩手県の釜石に親戚がいますから、親戚もたくさん亡くなっているだろうと思いました。南三陸町の友だちは、お母さんを亡くしていました。
でも、震災以降、引き籠りになっていて、行きたくても行けませんでした。
「ああ、うちは家族4人、何とか命があるんだから、家はもうあきらめるしかないかな」とも思うようにしました。
それで、何とか前に進もうと思って、宮城県でガレキ撤去のボランティアに、夫と参加してみたり、いろいろなことに挑戦してみました。だけどやっぱり、何かね、できないんですよね。長続きしない。
夜、布団の中で目を閉じると、「ああ、家に帰りたいなあ」と思って、そのうち、妄想の中で、車を運転するんです。
避難している水戸から富岡までは遠いいんです。いわき中央インターまで高速で行って、それから慣れ親しんだ6号線を走ると、四倉港が右手に見える。次に、お仲人さんが住んでいる久之浜の街。津波に流された光景が右手に見える。そして、広野から楢葉に向かう途中に焼き餅屋さんがあって、「お世話になったな」とか。それからトンネルと坂を越えて、富岡の街に入って、自分の家の玄関に着いた。
そしたら、鍵を忘れたことに気づくんですね。
でも、幽体離脱というか、入れるんじゃないかと思って、すっとはいったら、入れた。夢の中ですから。
1階から2階と、グルグルとさまよい歩いて、息子の部屋を見て、「いま息子はどこにいるんだろうか」とか、そんなことを考えているうちに、ふと目を開けると、そこには、避難している水戸の家の天井がありました。
涙が出て仕方がありませんでした。
そんなことが続いて、引き籠りになっていたんです。
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(警戒区域にされている富岡町の町場。国道6号線上を南に向いている)
知らなかった反省と悔しさ
知らないことが多すぎたのです。本当に、都会の人も、原発のことを知らなかった。申し訳ありませんが、私も、富岡に20年住んでいて、知りませんでした。
バスガイドをしていましたので、東電の仕事もしましたよ。東電の仕事でバスに乗務すれば、一所懸命、おべんちゃらもいいます。
ただ、いろんな疑問は持ったりしていました。
六ヶ所村にもガイドでいきました。先祖代々の土地を二束三文で売ってしまい、入ったお金も使ってしまって、最後は家族は離散。そういう人の話もあるんです。六ヶ所村の人たちがみんなものすごいお金持ちと思われていますが、そうとは限らない。ガイドでいったとき、乗客にそんな話もしてきました。
でも、自分が住んでいる富岡近辺の原発については、考えることはなかった。反省というか、申し訳ないという気持ちです。
◇きっかけは
震災以降ずっと引き籠っていましたが、その間、広瀬隆さんや鎌田慧さんや小出助教の本などをたくさん読みました。
そんなとき、今年2月、避難先の水戸から16キロのところにある東海第二原発を再稼働させようという動きが始まっていたんですね。
娘が「行ってみたら」というので、2月12日、東海村の村長さんの講演を聴き、福島大学の先生のお話を聞きました。
それからです。「あなたは、あなたの大切な夫、息子に、原発で働けと言えますか。私は言えません。原発作業員の母より」と書いたプラカードを掲げて、デモに参加したりするようになりました。いまは、もう、首相官邸前でマイクなんかもったりしています。大飯町にも、福島の女性たちといっしょに訴えに行ってきました。
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息子は原発作業員
私の息子は、いま30歳。原発の作業に入ったのは、19歳から。もう10年です。
息子は、現在、福島第二原発の近くに事務所のある原発関連会社に勤めています。そこに勤めて2年です。
その前は、4次請けか5次請けの会社です。時々、息子の部屋の掃除をしているときに給料明細が出てきたんですけど、8年間勤めて、28歳なのに給料は17万円ぐらいでしたね。
その後、最初の会社を辞めてから、源泉徴収票が送られて来ました。それを見た息子が、「俺、ボーナスなんかもらってないのに、ここに8万円って書いてある」って。そういうもんなんですね。
もう少し給料のいいところをということで、今の会社に移りました。その会社は、勤めて2か月で、ボーナス10万円をもらいました。給料も、そこそこになったのではないかなと思います。
◇いやあ、危なかったよ
息子からは、原発のことをいろいろ聞きました。
一昨年、「トラブル発生で、今日は帰れません」ってメールが来ました。翌日、帰ってきたとき、「どうしたの?」ってきいたら、「いやあ、危なかったよ。やっと止まった」って。原発が「危なかった」とか、「やっと止まった」ってどういうことですか。〔※〕
それから、原子炉の中に、ペンチだとか、何かが落ちるそうですね。東電の社員に、「水の中にあんなにいろいろ落ちていて、いいんですか?」っていったら、「余計なことを言うな」って、怒られたそうです。
そして、そういった落ちたものを、人間が拾ってくるんですって。「どんな格好して入るの?」って聞いたら、「潜水夫みたいな恰好。一人では被れない鉛の帽子で。それから何十キロもある鉛のスーツを着て。そうやってあの高線量の(原子炉水の)中に入る」って。日本人は(線量が高すぎて、法律上)できないので、外国人が日本に来て、一回潜っただけで100万とか200万とかと稼いでいくそうです。
〔※2010年6月の福島第一原発2号機の水位低下事故か〕
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(今年2月から書き始めてノートが4冊になった。考えたこと、しゃべりたいことを書きためている)
◇収束作業
震災後、息子は、東電に出向です。
東電に出向というと聞こえはいいですが、警戒区域の線量計測、スクリーニングの立ち会い、やがては福島第一原発のガレキ撤去とか…。
東電は、社員を被ばくから守るために、協力企業に要員を出させる。それを断ると、「仕事を回さないぞ」と言われるので出すしかない。それでうちの息子が行くことになった。こんな構図だそうです。
息子を取り戻したい
震災後しばらくの間、息子が水戸に来たときには、好きなものを食べさせてあげて、酒も飲んで、楽しく過ごしていました。
だけど、今年の正月明け、全国の原発の再稼働の話が出たとき、「全く、この国は懲りない国だよね。福島でこんなことをしておきながら、再稼働だって」と、息子がご飯を食べているそばで言ったら、息子が、「それでも、この国は資源がないから、原発がないとだめなんだよ。お母さん」って言うんですね。
私は、震災後、広瀬隆さんとかの本をたくさん読んでましたから、「だから、お前はバカなんだ」って言いました。それで、息子のマインドコントロールを解きたくて、原発がいかに間違っているかということをこんこんと話しました。そして、「読め」って言って、本も買って持たせてやったんです。
だけど、たぶん、読んでない。読んでいれば、原発作業員が、政治家や電力会社や学者に利用されているということが、わかったはずですよ。
でも、息子は、原発問題について、勉強をしないんです。何で勉強しないか。怖いからですよ。怖いから勉強をしないんですよ。
だから、いまでも、思いは通じないんですよね。
私の話がうるさくなったのか、息子は、避難先に来なくなりました。
日本の原発というのは、60年ぐらい前に、政治家と科学者と電力会社がもうかるように最初からつくられた構図だったんですね。でも、問題は、原発の末端の労働で被ばくすること。そこで、政治家や電力会社の幹部たちは、「田舎に原発をつくって、地元で雇用して、そいつらにやらせればいいじゃないか」って言ったというのですね。本で読みました。
「被ばくする作業は、こいつらにさせればいいじゃないか」って言われている。そんな風に言われていることも知らないで、息子は10年も原発で働いている。しかも、原発が爆発して自分の住むところも追われている状態なのに、「日本には原発が必要だ」なんて、息子は言っている。
そういうのが、とっても悔しいのです。
◇あきらめずに
その後、私がデモや集会に参加するようになって、発言などをして、それがネットなどで紹介されているのを息子が知って、「何でお母さんが、首相官邸前でマイクなんかもって、しゃべっているんだよ」って、娘のところに電話してきたそうです。娘は、「お兄ちゃんが、原発で働いているからだよ。お母さんは、息子を取り返したいって思って、やっているんだよ」って。
でも、私と息子は、今も分かりあっていません。対立したままです。でも、あきらめず対話を続けて行くつもりです。私の活動は、息子を取り戻すためにやっているんです。それまであきらめずに続けて行きます。
白血病・悪性リンパ腫
息子は、中学2年のときに、悪性のリンパ腫を発症しました。1年間、東京・築地のがんセンター(国立がん研究センター中央病院)で治療して助かりました。
「10年経ったら、大丈夫。普通に子どもはできるから」と言われて、25歳のときに結婚したんですけれど、残念ながら、子どもには恵まれませんでした。
その後、「どうしても子どもがほしい」という奥さんと気持ちが合わなくて、結局、離婚してしまいました。息子の奥さんのことを、私は大好きだったので、とても悲しかったんですけど、うちの息子と別れて他の人と結婚して幸せになれるんだったら、「仕様がないよ。別れるしかないね」ということで、認めたんですね。
うちの息子は悪性リンパ腫でしたが、実は他にも、そういう話があります。
今年の1月か2月、娘の友だちが水戸に遊びに来たんです。その子に、「あれー、お兄ちゃんいたよね。お兄ちゃん元気?」って聞いたら、「死んじゃったよ」って。白血病で亡くなったそうです。その子のお兄ちゃんはたぶんうちの息子と同じくらいの年。
それから、娘が同級生の人たちと仮設住宅でボランティアをやっているんですが、その一人の男の子も白血病で、いま再発中。
さらに、うちの息子が退院して、2年ぐらいあとに、50メートル先の家の子が、白血病になった。
その3年か4年以内に、同じ小学校の子が、心臓疾患で外国に行って移植手術を受けています。
富岡町のそれも半径3キロぐらいの狭い範囲で、3人の子どもが白血病、うちの息子が悪性リンパ腫で、1人が心臓疾患。これはどういうことでしょうか?
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残りの人生かけて
58年の人生で、57年間、原発の問題に気が付かず、去年の3・11まで、考えなかったことは、申し訳なかったと思います。でも、いろいろわかってきたら、黙っていられないんですね。
娘は、「お母さん、そんなに頑張ったって、どうせこの国は原発を再稼働するんだよ。お母さんが頑張っても通じないよ」と言いながら、応援してくれています。友人は、「どうせ、都会の人は、関心を持たないよ。私たちが、どんなに言ったって駄目なんだよ。福島がこれだけのことになっても、わからない人はわからない」と言っています。
でも、「50代以上の人間で、絶対に、原発にケリをつけてやる。これにケリをつけないと死ねないぞ」と思ってやっています。
それに、福島で起こったことを、福島の人間が伝えなければ、福島の犠牲は報われません。
原発は、必ず止まります。それは、第二、第三のフクシマが起きたときか、人間の知恵と理性で止めたときです。
電力会社のみなさん、政治家のみなさん、マスコミのみなさん、国民のみなさん、あなたはどっちを選びますか?
たしかに、まだ小さい運動かもしれませんけれど、みなさん、毎週金曜日の東京に来て下さい。首相官邸前に集まって下さい。 (了)
http://www.geocities.jp/hoso_katarukai/masukomisimin.html
「厳重注意」を受けるべきは誰か
~NHK「ETV特集」スタッフへの「注意処分」を考える~
戸崎 賢二(放送を語る会会員)
大震災後のテレビ報道の中で、NHK「ETV特集」の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」シリーズは、原発事故による放射能汚染の実態と、被害を受けた人びとの悲劇を、地を這うような調査取材で伝え続け、わが国原発事故報道の高い峰を形成してきた。シリーズ第一回にあたる昨年5月15日の番組は、文化庁芸術祭大賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞している。
ところが、今年4月、NHKで、この優れた番組群を主導したETV特集班のプロデューサーとディレクターが、口頭での「厳重注意」、もう1人のディレクターが「注意」を受けていたことが明らかになった。
問題とされたのは、取材班が番組の制作記録として刊行した単行本「ホットスポット」(講談社)の内容である。
この「厳重注意」については、NHKの公式サイトで見当たらず、当事者も沈黙しているので、詳細はよくわからない。局内で伝えられているところを総合すると、「厳重注意」の理由は、前記の書籍の中で、執筆者が、NHKが禁じていた30キロ圏内の取材を行った事実を公表したこと、原発報道についてNHKの他部局を批判したこと、などだったとされる。
書籍「ホットスポット」によれば、震災4日後の3月15日、取材班は放射線衛生学の研究者である木村真三博士とともに福島へ向かい、翌16日から、原発から30キロ圏内で、移動しながら放射線量を測定した。各地でチェルノブイリに匹敵する高い線量を記録する中で、研究者のネットワークで、原発事故による汚染地図をつくるドキュメンタリーの企画の着想が生まれた。
この企画は、ETV特集新年度第1回の4月3日の放送分として提案されたが、ネットワークに参加する研究者に反原発の立場の研究者がいることなどを理由に、制作局幹部によって却下される。
このころすでに、政府の屋内退避区域の設定を理由に、NHKは30キロ圏内の取材を禁じていた。3月下旬、再度現地に入ったクルーが、幹部からの命令で現地から撤退する直前、浪江町赤宇木(あこうぎ)で、高線量を知らず取り残されている住民を発見した。住民はのちに取材クルーと木村博士の説得でこの地域を脱出することになる。
「注意処分」の理由とされたのは、このように30キロ圏内で取材した事実を書籍で公表したことだった。しかし、その記述があることによって、当時の原発事故報道の問題点が鮮明に浮かび上がることとなった。
赤宇木のある地域の放射線量の高さは、文科省は把握していたが、地名を公表しなかった。枝野官房長官はこの報告を受けた後の記者会見で、「直ちに人体に影響を与えるような数値ではない」と説明し、テレビ報道はこの会見を垂れ流した。
取材班は「ホットスポット」の中で、「当時の報道は大本営発表に終始し、取材によって得られた「事実」がなかった」と指摘、30キロ圏内の取材規制も、「納得できるものではない、そこにはまだ人間が暮らしているのだ」と書いている。ジャーナリストとしてまっとうな感覚である。
赤宇木の状況は4月3日のETV特集で紹介され大きな反響を呼んだが、3月に測定した汚染の広がりの公表は、5月15日の「汚染地図」第1回の放送まで待たなければならなかった。もし、幹部が遅くとも4月3日に「汚染地図」の放送を許していたら、番組は大きな警告となって、高線量の中で被曝する住民が少しは減らせたかもしれない。
こうしてみると、「厳重注意」を受けるべきは、本来誰なのかを問い直さざるをえない。それは被災地に入り込んで取材し、住民を救った取材班というよりは、むしろ政府発表を垂れ流した報道や、早期に放射能被害を伝えることを制約した幹部のほうではないか。
番組を牽引した七沢潔氏は、本書の「あとがき」の中で、「あれだけの事故が起こっても、慣性の法則に従うかのように「原子村」に配慮した報道スタイルにこだわる局幹部」と、NHK内部に向けて厳しい批判を加え、「取材規制を遵守するあまり違反者に対して容赦ないバッシングをする他部局のディレクターや記者たち」の存在を告発している。
現役のNHK職員のこの異例の記述には、組織の論理よりも民衆を襲った悲劇の側に立つことを優先し、自局の原発報道を問い直す不退転の決意が読み取れる。
このあたりの記述が「厳重注意」の理由とされたのだった。しかし、ここに表明された個々の制作者の精神の自由を「厳重注意」によって抑圧するようでは、企業としてのNHKの「自主自律」は実体を持たない空疎なものとなる。 「ホットスポット」は一方で、NHKは決して一枚岩の存在ではなく、良心的な番組でもNHK内においてはさまざまな圧力の中にあり、視聴者の支持がなければ潰されかねないことをも示唆した。今回の「厳重注意」の動きは、視聴者にそのような重大なメッセージを伝えている。
「厳重注意」を受けるべきは誰か
~NHK「ETV特集」スタッフへの「注意処分」を考える~
戸崎 賢二(放送を語る会会員)
大震災後のテレビ報道の中で、NHK「ETV特集」の「ネットワークでつくる放射能汚染地図」シリーズは、原発事故による放射能汚染の実態と、被害を受けた人びとの悲劇を、地を這うような調査取材で伝え続け、わが国原発事故報道の高い峰を形成してきた。シリーズ第一回にあたる昨年5月15日の番組は、文化庁芸術祭大賞、日本ジャーナリスト会議大賞などを受賞している。
ところが、今年4月、NHKで、この優れた番組群を主導したETV特集班のプロデューサーとディレクターが、口頭での「厳重注意」、もう1人のディレクターが「注意」を受けていたことが明らかになった。
問題とされたのは、取材班が番組の制作記録として刊行した単行本「ホットスポット」(講談社)の内容である。
この「厳重注意」については、NHKの公式サイトで見当たらず、当事者も沈黙しているので、詳細はよくわからない。局内で伝えられているところを総合すると、「厳重注意」の理由は、前記の書籍の中で、執筆者が、NHKが禁じていた30キロ圏内の取材を行った事実を公表したこと、原発報道についてNHKの他部局を批判したこと、などだったとされる。
書籍「ホットスポット」によれば、震災4日後の3月15日、取材班は放射線衛生学の研究者である木村真三博士とともに福島へ向かい、翌16日から、原発から30キロ圏内で、移動しながら放射線量を測定した。各地でチェルノブイリに匹敵する高い線量を記録する中で、研究者のネットワークで、原発事故による汚染地図をつくるドキュメンタリーの企画の着想が生まれた。
この企画は、ETV特集新年度第1回の4月3日の放送分として提案されたが、ネットワークに参加する研究者に反原発の立場の研究者がいることなどを理由に、制作局幹部によって却下される。
このころすでに、政府の屋内退避区域の設定を理由に、NHKは30キロ圏内の取材を禁じていた。3月下旬、再度現地に入ったクルーが、幹部からの命令で現地から撤退する直前、浪江町赤宇木(あこうぎ)で、高線量を知らず取り残されている住民を発見した。住民はのちに取材クルーと木村博士の説得でこの地域を脱出することになる。
「注意処分」の理由とされたのは、このように30キロ圏内で取材した事実を書籍で公表したことだった。しかし、その記述があることによって、当時の原発事故報道の問題点が鮮明に浮かび上がることとなった。
赤宇木のある地域の放射線量の高さは、文科省は把握していたが、地名を公表しなかった。枝野官房長官はこの報告を受けた後の記者会見で、「直ちに人体に影響を与えるような数値ではない」と説明し、テレビ報道はこの会見を垂れ流した。
取材班は「ホットスポット」の中で、「当時の報道は大本営発表に終始し、取材によって得られた「事実」がなかった」と指摘、30キロ圏内の取材規制も、「納得できるものではない、そこにはまだ人間が暮らしているのだ」と書いている。ジャーナリストとしてまっとうな感覚である。
赤宇木の状況は4月3日のETV特集で紹介され大きな反響を呼んだが、3月に測定した汚染の広がりの公表は、5月15日の「汚染地図」第1回の放送まで待たなければならなかった。もし、幹部が遅くとも4月3日に「汚染地図」の放送を許していたら、番組は大きな警告となって、高線量の中で被曝する住民が少しは減らせたかもしれない。
こうしてみると、「厳重注意」を受けるべきは、本来誰なのかを問い直さざるをえない。それは被災地に入り込んで取材し、住民を救った取材班というよりは、むしろ政府発表を垂れ流した報道や、早期に放射能被害を伝えることを制約した幹部のほうではないか。
番組を牽引した七沢潔氏は、本書の「あとがき」の中で、「あれだけの事故が起こっても、慣性の法則に従うかのように「原子村」に配慮した報道スタイルにこだわる局幹部」と、NHK内部に向けて厳しい批判を加え、「取材規制を遵守するあまり違反者に対して容赦ないバッシングをする他部局のディレクターや記者たち」の存在を告発している。
現役のNHK職員のこの異例の記述には、組織の論理よりも民衆を襲った悲劇の側に立つことを優先し、自局の原発報道を問い直す不退転の決意が読み取れる。
このあたりの記述が「厳重注意」の理由とされたのだった。しかし、ここに表明された個々の制作者の精神の自由を「厳重注意」によって抑圧するようでは、企業としてのNHKの「自主自律」は実体を持たない空疎なものとなる。 「ホットスポット」は一方で、NHKは決して一枚岩の存在ではなく、良心的な番組でもNHK内においてはさまざまな圧力の中にあり、視聴者の支持がなければ潰されかねないことをも示唆した。今回の「厳重注意」の動きは、視聴者にそのような重大なメッセージを伝えている。
被災瓦礫は、宮脇昭氏の構想のおかげでもう拡散する必要はないと思っていたのに、細野豪志環境大臣はまだ広域処理にこだわっていたとは驚きました。
ガレキが命を守る森になる!
瓦礫を活かす森の長城プロジェクト
「森の力」で被災地救え!
5日の「モーニングバード・そもそも総研」からまとめます。
☆☆☆
宮城県は当初、瓦礫を期限の3年以内に県内だけで処理は出来ないと広域処理をお願いして来た。
ところが最近になって、宮城県議会では広域処理は必要ないという風に状況が変わってきた。
これに対し、細野豪志環境大臣の意見
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「広域処理をする事によって、被災地から瓦礫がなくなるというのは、復興がスタートできるという大きな意味を持つ。
宮城県議会ではこういう声があがっているのは知っているが、宮城県の行政では今も広域処理を依頼しているのは変わらない。
なぜ宮城県民の中で、もう広域処理はいいとの声が出ているのかというと、自分たちの所にあるものが、汚染瓦礫として激しい反対運動が起こっているのを見て、そこまで言われるんであれば自分たちの所で処理した方がいいと、そう言う議論なのだ。
私はその事で責任を感じている。本当なら出て来なくていい対立が北九州で起こってしまったり、全国的に物議を醸し出してしまっている。
我々の情報の出し方とか、説明の仕方に問題があったと反省しているが、広域処理自体には意味がある状況は変わらない。
今、広域処理をお願いしているのは残り114万トン。
47万トンの木くずは燃やさずに再生利用しようとしている。それをするには宮城県では難しい。
さらに、セメント工場で燃やして灰にしてそれを復興事業で使っている。これも広域処理。
だから広域処理が必要ないというのは、誤解を生むので言わないでもらいたい。」
しかし、全ての瓦礫を期限内に処理する方法がある。
共産党と自民党で同じ意見なのは珍しい事。
宮城県議会共産党 横田有史氏
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「ひとつは、有効活用して『いのちを守る森の防潮堤』で使うというもの。
基本的には、ゴミというのは自治体ごとに域内処理が原則。
是非最大限、県内で処理するという立場で努力すべきじゃないかというのが宮城県全体、県議会全体としての意向。
当局(行政)は広域処理にこだわっているようだが、例えば極端に言えば1~2カ月延びても県内でできるというのであれば、それは県内で処理すべきだと思う。
広域処理は辞めた方がいい。」
宮城県議会では59人の全議員が「いのちを守る森の防潮堤」構想を推進し、県内処理をさらに進めたい考えだ。
宮城県議会自民党 相沢光哉氏
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「瓦礫の推定量が4分の3に圧縮されたという事、それから処理のスピードアップができてきている。
さらに我々の念願である「いのちを守る森の防潮堤」を作る為に、瓦礫を燃やさないで埋めていく事に使っていくとすれば、県外に持ち出さなくても済むと思う。」
これに対し県側は、「木質瓦礫を防潮堤に使用すると、発熱・ガスの発生、陥没の恐れがある」として難色を示している。
しかし、瓦礫を活かした防潮堤作りの第一人者であり提唱者である宮脇昭氏は、
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「ガスとか陥没の危険性は、基本的にはあり得ない。問題があれば私が生態学者として責任を持つ。
私も命をかけて60年のノウハウを持ち、世界各地で1700カ所全てで成功している。
もう今すぐやれば、来年どころか今年中にできる。」と話す。
横田有史氏「広域処理に反対する最大の理由は、放射能。宮城県仙台市も含めてホットスポットが沢山できている。
どんなに瓦礫をチェックしても、かなり高い濃度の瓦礫が全国に拡散する事になり、特に焼却すればかなりの濃縮した濃度になるので、何万ベクレルという風になってもおかしくない。
そんな瓦礫を全国に拡散すべきでない。
それから、輸送料にかなりのお金がかかる。この間、北九州市に28台のトラックで80トンの瓦礫を運んだが、それだけで1400万円。
もし、7万数トンを北九州に運ぶとなれば、船とかで安くするとは思うがそれでも140億円くらいかかる。
その費用があるんだったら、被災者の復旧、復興に充てて欲しい。」
相沢光哉氏「放射能は基準値以内で安全だとは思うのだが、受け入れる側からすると反発があるというのは残念ながら否めない。
そこに輸送費の無駄を指摘されるとお願いはしづらい状況。だから、県内域内で縮小した形をとるべきだと思う。」
細野大臣も野田総理と共に「みどりのきずな」再生プロジェクトに参加しており、この取り組みの有用性については認めている。
しかし、安全性の観点より埋められないものがあると言う。
津波の土砂・レンガや瓦、流木は埋めて良いもの。
木片・枝葉や建設系廃木材、木質系混合物は埋められないと言う。
建築資材にはヒ素やクロムが含まれているというのだ。
「宮脇氏が埋めても大丈夫だと言っているし、万が一の処置として、流れ出ないようにビニールシートでそれらを囲んではどうか」という玉川氏とここでバトルが始まる。
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「クロムやヒ素が建築廃材の中にそんなに含まれているのか、それはどのくらいか?」との玉川氏の質問には細野大臣は答えられなかった。
しかし、頑なに埋められないものは危険なので埋められないと譲らなかった。
汚染レベルが同じような場所ならば、まだ分かるが、汚染が少ない北九州に持っていくのが解せないとの玉川氏に細野大臣はこう答えた。
「北九州市は以前から環境問題に取り組み、非常に管理能力があり、市長も安全に取り組めるという事でお願いしている。」
玉川氏「北九州に持って行かなくてもいいのはもう見えている事だ。」
細野大臣「3年という期間を越えて、永遠に地元に瓦礫を置き続ける事に私は絶対反対だ。出来るだけ早く処理をした方がいい。」
☆☆☆
またまだバトルは続きそうでしたが、時間になってしまいました。
なぜこうまで細野大臣は広域処理にこだわるのでしょうね。
ヒ素やクロムよりも、もっと高濃度の放射能が海に垂れ流されているのにね。
この動画をご覧ください。あー言えばこう言う細野大臣に パンチ!
http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11294943104.html
サンリブ マルショクを作った創業者の人のツイッター発言によると
フクシマの食品は 店の商品では使うなと指示したところ 北九州市長の圧力で保健所が入ってきたそうだ。 サンリブさん圧力うけてたんだね。がんばれサンリブマルショク
大きなフードチェーン店は 間違いなく フクシマ食品ばりばりでしょうね。
コンビニもいっしょ。
もう口にしないほうが難しい状況かな。
なので、防御するために 腸内細菌をふやしていきましょう。
ぬかどこ や 味噌汁 納豆とか 毎日作ってたべましょうね。
今の政府はとんでもすぎるからね。
自分で自衛できるとこは がんばっていきましょうね。
フクシマの食品は 店の商品では使うなと指示したところ 北九州市長の圧力で保健所が入ってきたそうだ。 サンリブさん圧力うけてたんだね。がんばれサンリブマルショク

大きなフードチェーン店は 間違いなく フクシマ食品ばりばりでしょうね。
コンビニもいっしょ。
もう口にしないほうが難しい状況かな。
なので、防御するために 腸内細菌をふやしていきましょう。
ぬかどこ や 味噌汁 納豆とか 毎日作ってたべましょうね。
今の政府はとんでもすぎるからね。
自分で自衛できるとこは がんばっていきましょうね。