聖書の中の有名なお話に、「放蕩息子の話」というものがあるのですが、

 

超簡単に説明すると、

ハイビスカスハイビスカスハイビスカス

昔々、お金持ちのお父さんと二人の兄弟がいました。

あるとき、弟は父親に財産を半分くれと言います。

優しいお父さんは兄弟二人に財産を半分ずつ分け与えました。

弟はその財産をもって、家を飛び出し、贅沢三昧、散財し、結果食べることすらできないド貧乏に。

真面目なお兄さんはそのままお父さんのもとで真面目に働いてました。

 

ある日、財産を使い果たし、落ちるところまで落ちた弟は

優しい父のことを思い出し、「お父さんに謝ろう。そして、息子と言う価値すらない自分だけど

使用人にしてほしいと頼もう。」

 

と父親のところに戻っていきます。

戻ってきた放蕩息子をお父さんは喜び100%、両手で抱きしめ、彼のために大宴会を催します。

戻ってきた放蕩息子のためのWelcome Back Partyです。

 

それを見た真面目なお兄ちゃん、ぶち切れです。自分は今の今までこんなに真面目にやってきたのに、

お父さんは子ヤギ1頭すらくれなかったムキーとお父さんにもんくたらたらムキー

ハイビスカスハイビスカスハイビスカスハイビスカス

 

というお話なのですが(本当はもっと深いデレデレ

 

このお話は何度読んでも、いろんな解釈があって、すごく奥が深いのです。

私も最初はお兄さんの気持ちはもっともだ。なんで放蕩息子がこんなにお父さんに

かわいがられて宴まで催してもらえるのか意味がわかんないと思っていたのですが。

 

今日は、また別の考えが頭に浮かびました。

 

このお兄ちゃんはいっぱい我慢したんだろうな。。。ぐすん

 

だって、本当に自分が好きで楽しいと思うことやってたら、弟が何をやってようと

そんなに気にならないはず。。。だって自分だって財産半分もらってるんだし。

毎日お金持ちで優しいお父さんと一緒だったんだし。。。

 

そして、自分が欲しいものをお父さんに言えなかったんだろうな。。。ぐすん

 

でも、もしかしたらお兄ちゃんも弟のように外に飛び出して世界を見たかったのかもしれない。

お兄ちゃんは、子ヤギと言わず、もしかしたら牛の一頭でも欲しかったのかもしれない。

でも、だったら我慢せず、お父さんに自分のほしいものを言うべきだったんじゃないかな?

もしかしたら、

 

「お父さん、実は僕牛が1頭ほしいんです。」

「牛?いいよ牛あたま

 

 

 

「お父さん、僕毎日お父さんのもとで働いてるけど、1週間休んで遊びに行ってきていいかな?」

「休み?いいよやしの木

 

もしかしたら思ってるよりも簡単にお兄ちゃんの望みはOKされたのかもしれないし。

 

「お父さん、僕あの畑がほしいんだよ、ちょうだい。」

「畑?うーん、あれはダメヒマワリ

「ちぇっ、だめか、まーいいやてへぺろ

 

とちゃんと欲しいものを言うことで、心がすっきりして、もやもやが残らなかったかもしれないし。

 

自分の欲しいものを口に出さなかったら

最初から叶わなくてもやもやだけがたまってくわけです。

たとえ却下されても、きちんと伝えたことで、自分へのいらいらが少なくなるわけです。

 

欲しい物、やってほしいことは、心の中でぐるぐるさせず、ちゃんと相手に伝えないと

自分の中で我慢がたまっていって、結果ぶち切れしてしまう、というお話でしたピンクハート