みなさん、こんばんは。


本日からのダイヤ改正。昨夜は、上野~青森間を結ぶ寝台特急あけぼのを見送り、上野駅に行かれた方々が多いのではないでしょうか?

 さらに、青森駅での見送りや、あけぼの沿線の走行風景や回送推進などを、撮影に出掛けた方々もいらっしゃるでしょう。


 最近は、沿線撮影をしている方々を、多く見かけました。勿論私もです(笑)。


















 みなさんも、あけぼの撮影をされましたか?

あけぼのの定期運用終了はとても寂しいものですが、心の想い出と共に、大切にしてゆきたいですね。

 

他のダイヤ改正に関するブログは、3月2日に更新しておりますので、宜しかったらご覧ください。
http://ameblo.jp/shie-rail/entry-11784775151.html



 ところで、今月に入り、恒例の花粉症に苦しむ毎日が続いていますが、みなさんは、如何でしょうか?何か、良い治療法がないですかね?



 では、そろそろ表題の記事を書いていきますね。


 一昨年、アメリカはサンフランシスコ市の公共交通の勉強会に行ってきましたが、本年は、サンフランシスコ第二弾。お仕事で海外に訪問できるのは、本当に貴重な経験です。

 毎日早朝から暗くなるまで、たくさん取材をしてきましたので、早速海外ルポスタートです!



 海外出張ルポ(その1)



 アメリカサンフランシスコ市への行きの公共交通機関は、京成上野駅からスカイライナーです!






 スカイライナーが入線する前に、京成上野駅で0キロポストを発見!












 スカイライナーの車両デザインをされたのは、山本寛斎さん。世界を代表する国際空港に乗り入れることを意識した近代的かつ日本の情緒を取り入れたようなデザインです。








 車内は明るく、どこか未来的な感じです。私もすっかりくつろぎモードです。モニターでは、なぜか東京メトロさんのCMが流れていました。






 この写真は、成田空港駅で撮りました(笑)。







 実は、あまり飛行機に慣れていない私。搭乗前に、自分を落ち着かせるため、サテライトでコーヒーブレークしました(汗)。




 そして、サンフランシスコ着。午前着だったので、早速、愛するPCCカーに逢いに行きました!





(サンフランシスコ車の1051号車)




(サンフランシスコ車の1050号車)







 PCCカー(President’s Conference Committee=経営者協議委員会)は、1929年に全米の路面電車の経営者たちが一堂に集まり、アメリカ合衆国で結成された委員会「The Electric Railway Presidents' Conference Committee(ERPCC)」によって、1930年代から開発された新しいタイプの路面電車で、1936年に誕生しました。






(元カナダ・トロント車の1074号車)





(元フィラデルフィア車の1007号車)



 当時としては珍しい間接制御、電気制動常用車であり、自家用車やバスに対抗できる先進的な乗り物として注目を浴び、第二次世界大戦後の1950年代には、世界中の路線で開発や導入が行われました。


 多くの国で投入されたので、その土地に合わせた色々なアレンジがありましたが、軽量な高張力鋼を用いて組み立てられた車体や、流線型のデザイン、スムーズな加速性能や騒音が少ないこと、丈夫で長持ちする構造などが特徴です。


 また、運転方式が足踏みペダル式なのもPCCカーの持ち味で、各地で大量生産され、1952年までに、おおよそ5000両が製造されました。




(元南カリフォルニア車の1061号車)




(元イリノイ・シカゴ車の1058号車)



PCCカー


 運転台も変わっていて、加減速共に自動車同様の足踏みペダル式で、足下のペダルが、マスコンとブレーキの役目を果たし、手は運転台コンソールにあるつかみ棒を握っています。



PCCカー


これは、コンパネ上の短いスティックで、「アドバンス・スイッチ」と言います。この手元スイッチの「アドバンス・スイッチ」で進段を行い、操作しているのです。大変興味深く、乗る度に魅入っていました。




 当時のアメリカの路面電車と言えば、このPCCカーが主流でしたが、時代の流れには逆らえず、ご多聞に漏れず、段々と廃車になり、処分されていきました。


 現在、このPCCカーの運営方式は、市の交通局とストリートカー好きの方が集合し設立したNPOとの協力によるものとのことで、ボランティアの方々が寄付金を集い、残っているPCCカーをメンテナンスし、各都市の塗色を施し、運行しているようです。



(元イリノイ・シカゴ車の1058号車)




(元ロサンゼルス車の1052号車)



(元ペンシルバニア・フィラデルフィア車の1060号車)




 Fラインの運行区間は、カストロ地区からフィッシャーマンズワーフまでの約1時間。


 サンフランシスコの中心街・大通りのマーケットストリートを通り、ショッピング地区、港沿いやビジネス地区、居住地区、そして、観光地の名所として世界的に知られるフィッシャーマンズワーフをぐるりと周り、ぐんぐん進んでゆきます。


 PCCカーは、加速が非常に良く、乗り心地も抜群です。バラエティ豊かで個性的なPCCカーに乗り、車窓から流れる美しい景色に心を躍らせ、潮の香りに導かれ、幸せな気持ちでいっぱいになり、のんびりと楽しいひとときを過ごせます。











 PCCカーは、内装も非常に凝っていて、照明はダウンライトのようなものが備えられ、カバーの中央部がレンズになっていますので、夜間は、鉄道車両の中とは思えないほど、エレガントな雰囲気になります。


PCCカー





(元カリフォルニア・サンディエゴ車の1078号車)




(元イタリア・ミラノ車の1815号車)



 このように、観光用に復活させたストリートカーのFラインは、サンフランシスコを代表する乗り物のひとつとして、地域の人や観光客などから、多くの人気を博しているのです。


 サンフランシスコで走っていた車両も勿論ありますし、他の都市から譲り受けてきたPCCカーも多くあります。昔のものを大切にする社会、思想、とても素敵ですね。



 PCCカーは日本でも、東京や横浜、名古屋、大阪、神戸、高知、福岡など、さまざまな地で導入されました。


興味深いのは、PCCカーではありませんが、かつて神戸市電で活躍した神戸市電500形が、神戸市電全廃後に、広島電鉄に譲渡され広島電鉄570形として活躍し、その後、サンフランシスコに渡り、今も在籍していることです。残念ながら現在は休車中ですが、いつか会えるチャンスを楽しみにしています。


 日本のPCCカーの中で特記すべき車両が、都電でも活躍していた東京都電5500形です。



5500形


 

 日米の車両規格の違いや法規上の問題から、PCCカーそのものの輸入は実現せず、PCCのライセンスを受けて、三菱電機、住友金属工業、ナニワ工機(現・アルナ車両)の3社を中心に、一部の部品はアメリカから輸入し、製造された車両です。



 1954年に華やかにデビューし、利用者やメディアなど多くの人気を呼んだものの、当時の路面電車の技術では保守点検が難しく、故障が多かったなどの理由により、15年も経たない1967年度中に、姿を消してしまいました。私の生まれるずっと前のお話しなので、勿論私は出会えていません。

 でも、私がよちよち歩きの頃は、東京都電5500形5501号車が上野公園に保存車両として展示されており、その後、小中学生になると、荒川車庫の片隅に留置されているのを見に行っていました。

 そして大人になってからは、2007年に、車体が綺麗な姿に修復され、同年5月に荒川車庫にある「都電おもいで広場」にて、ギャラリーを兼ねた形で、7500形7504号車・学園号とともに、静態保存されており、土・日曜日、祝日、振替休日のみ公開されており、いまでも、その姿を拝見することが出来るのです。




5500形



 アメリカでは、今もなお走り続けるPCCカーに出会え、その長い歴史を実感し、乗車することが可能です。ぜひ皆さんも、PCCカーに乗りに行ってみてくださいね。








(元ワシントン・ディーシー車の1076号車)






海外出張での写真は、マイカメラ Nikon 1 J1 にて撮影☆




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