◆言葉だけではなく、心も伝える努力を

 

 あなたは、友人たちとこれまでどんな“歴史”を刻んできましたか?

 つねに心が通い合ういい関係だったなあ、という人はそれほど多くはないはずです。

 長いつきあいの中では、ちょっとした感情の行き違いや言葉の取り違いなどがあってあたりまえです。それで仲たがいをすることになったり、諍いが起きたりすることも少なくはないのではないでしょうか。

 むしろ一度も喧嘩をしたことがない「親友」などいませんよね。肝心なのはその後の対応、”事後処理”です。これを間違えると、せっかく結ばれた絆もプツンと切れてしまいかねません。

 「奇跡」の出会いがあって、「ご縁」ができたのに、ちょっとした対応のまずさで、それが壊れてしまうのは、いかにもったいない気がします。人生の彩をひとつ失うことになる、といっても決して過言ではありません。

「過ちてはすなわち、改むるに憚ることなかれ」

 有名な『論語』の格言ですが、これを実践するのはなかなか難しい。たとえ原因が自分にあることに気づいても、謝罪するのはどこか憚られるというところがあるものです。とくに仲がよければよいほど、「あいつに頭を下げるのはどうもな」といった思いにとらわれてしまうのではありませんか?

 しかし、『論語』にはこうもあります。

「過ちて改めざる、これを過ちという」

 過ちをおかして、謝罪をしないことが、過ちなのだ、ということですね。実際、なかなか謝罪できないでいるあいだに、関係はますますこじれ、修復できないところまでいってしまうということはよくあります。

 謝罪の鉄則は、「すぐに」「直接」謝るということです。みなさんにも経験があると思いますが、なにごとも時間がたってしまうと、とりかかるのが難しくなります。とくに謝罪はそうでしょう。

 すぐに謝ってしまえば、関係修復など造作もないのに、時間がたつにつれてその困難度は増します。少し想像力を働かせて、相手の気持ちを推しはかってみれば、それはきわめて当然なのです。

 「すぐに謝ってくれたら、こんなことなんでもないのに…」が、「あいつ、どうしちゃったのかな。俺を傷つけたのがわかっていないのかな…」となり、さらには、「もしかして、そういうやつだったのか。そんなやつじゃないと思っていたのに…。」ということになる。そして、最終的には、「あいつはそういう人間なんだ!つきあいもこれまでだな!」というところに帰結するのです。

 直接会って謝るということも重要なポイントです。

 「面授」という禅語があります。

 大切な教えは、文章や言葉などでは伝えられず、師匠と弟子が直接、面と向き合って伝えるものだ、というのが本来の意味です。

 謝罪にもこの教えがピタリとあてはまります。

 いまはメールが必携品となり、メールでのやりとりが、コミュニケーションの主流のひとつになっているのかもしれません。しかし、自分の心からの気持ち、思いをきちんと相手に伝えるという“機能”は、残念ながらメールにはありません。

 立場を逆にして、あなたが謝ってほしい場面を考えてください。相手から、「この前は悪かった」のメールが届いて、謝罪の心を受け取ることができますか?まず、湧いてくるのが、「なんだ、メールかよ!」という思いではありませんか?

 謝罪の気持ちに限らず、ほんとうの気持ちは、言葉だけでは伝わりません。感謝の気持ち、感動の気持ち、相手を思いやり気持ちは、直接会って伝えることが大切です。表情や声の調子、そのときのふるまいなどが一体となって、初めて伝わるからです。

 やはり、相手と面と向かい合うしかありませんよね。