人間には本来、「自己愛」というものが備わっています。自分自身を愛し、大切に思う心。その自己愛があればこそ、人は強く生きることができるのでしょう。もしも自己愛がまったく欠如してしまえば、それほど苦しいことはないでしょう。

 

 そして人間は、幼いころには誰もが大きな自己愛を抱いています。物心がつくころから自己愛のない人間などいません。にもかかわらず、大人になるにつれて、それが薄くなっていく場合があります。自分のことが好きになれない。自分はダメな人間だと思い込む人もいます。いつもコンプレックスの海を泳いでいるようなものです。

 

 では、どうしてそのようなコンプレックスが生まれてくるのでしょうか。その答えは一つ。誰かと自分を比べているからです。あの人は成績がいいのに自分は勉強ができない。まわりの友だちと比べて自分は運動ができない。あるいは美人の女性を見ては羨ましく思ったりする。「羨ましいな」「いいなあ」「それに比べてやっぱり自分は劣っているな」と。要するに誰かと比較することでどんどんコンプレックスが増えていくわけです。それが高じてくると、自分のことがどんどん嫌いになっていく。それはとても悲しく不幸せなことだと思います。

 

 自分のコンプレックスを解消しようと、いろんなことに手を出す人もいます。英会話が不得意だと言って英会話教室に通う。もっと筋肉をつけたいとジム通いをする。気が付けばいくつもの教室に毎日のように通う状態になっている。もちろんコンプレックスを解消するために努力をすることは大事なことです。しかし、あまりにも多方面にそれが向かうと、結局はどれもが中途半端なものになってしまいます。そして中途半端なことしかできない自分がまた嫌いになってくる。まったく本末転倒のようなものです。

 

 人は自分の中に足りないものを見つけると、すぐにそれを足そうとします。いろんなものを足すことによって、自分自身を成長させようとする。つまりは、足し算によってコンプレックスを解消しようとするのです。しかし、足すにしても限界があります。もともと持っている自分の能力に目を向けずに、他人のまねをして足し算ばかりしていれば、やがては自分自身を見失うことにもなりかねません。本当に自分がやりたかったこととは何か。自分が歩みたい人生はどのようなものだったか。余計な足し算をすることで、本質がわからなくなってくる。それはとても怖いことだと私は思います。

 

 時に足し算をすることは大事です。自分に足りない部分を補うべく努力をすることは必要でしょう。しかし、あまりにも足し算ばかりに目を奪われてはいけないのです。反対に、時には引き算をしてみることです。

 

 自分自身を取り巻くすべてのものを俯瞰し、不必要なものを引き算してみてください。本当に自分はこれをやるべきなのか。単にまわりの人と比べてやっているだけではないのか。無意味なコンプレックスに惑わされて、無駄なものを取り入れすぎているのではないか。冷静になって、自らの周りを眺めることです。

 

 引き算をするという行為には勇気が要るものです。足し算を続けているほうが気持ちは楽なものです。しかし、不要なものを抱えれば抱えるほど、本当に大切なものは埋もれて見えなくなってしまうものです。不要な書類の山から、必要な一枚を探し出すのが難しいことと同じです。不要なものをさっぱりと捨てて、自分にとって必要なものにだけ心を尽くすこと。それこそが禅的な考え方であり、シンプルに生きるということなのです。

 

 自分が嫌いだという人でも、必ず好きな自分がいるはずです。その好きな自分を見つけ出してください。好きな自分を隠している不要なものをとり除くことです。