次に人間関係以外の悩み。例えば給与が少なくて家を買うことができない。今の仕事に満足できない。もっといい洋服が欲しい―。これらの悩みは、すべて欲望から湧き出ています。仏教でいうところの「煩悩」です。「煩悩」とは人間の心に持つ「三毒」のことです。「三毒」とは「貪瞋痴」のこと。「貧」とは貪りの心。何でも欲しがる欲望の心です。「瞋」は怒りの感情。ちょっとしたことで感情的になり、それがもとで人間関係などが崩れていく。そして「痴」とは愚かさのことをいいます。この三つの心を取り除くことで、いろいろな悩みは解消するでしょう。

 お金がなくて家が買えなければ、別に買うことはありません。洋服もタンスを開けば、所狭しと並んでいるはずです。これ以上増えてどうするのですか。仕事に満足できないと悩む前に、本当にその仕事に真剣に取り組んでいるかを考えることです。仕事というのは真剣に取り組んでこそ喜びが湧いてくるもの。一度必死になってやってみること。それでも合わないと思うのであれば、別の仕事を探せばいい。ただそれだけのことです。

 自分の悩みをもう一度客観的に眺めてみてください。自分自身が変わることで、解決できるものが実はほとんどなのです。

 次に、変えることのできない悩み。それは大切な人との別れでしょう。家族を亡くして「これから自分は、どう生きていけばいいのでしょう」。そんな悩みを相談されることがあります。この問いにどう答えればいいのか。前を向いて歩けるようにどんな言葉をかければいいのか。僧侶としてのいちばんの悩みでもあります。

 亡くなったという現実は変えられません。いくら嘆いてみても、悲しんでみても、逝ってしまった人は戻っては来ません。ならば辛くとも、その現実を受け入れるしかないのです。人間には、受け入れることでしか解決できない悩みがある。その深い悲しみは、人間の力ではどうすることもできないのです。

 残された人間がするべきこと。それは、亡くなった人をいつも心に思うことです。その人の人生や意志を受け継いであげること。生きていれば、もっとこんなこともやりたかっただろうな。あんな所にも行きたかっただろうな。そう心に思うのなら、その願いを遺された人が代わりに叶えてあげることです。生前に訪れたかった地に、代わりに行く。そして帰ってきたら、「あなたが行きたかった場所に行ってきましたよ」と御仏前に報告する。やり残したことがあるのなら、それを完成させてあげる。そんな一つひとつの行為が、やがて悲しみを受け入れる手助けになります。人生にはけっして変えられないものがある。その事実を受け入れることです。