無念無想(むねんむそう)

祈りとは禅語でいえば「無念無想」。自分を縛っている自我や執着心、そして妄想から離れること。自分自身を苦しめている「とらわれの心」から解放されることです。

 

 

 仏壇の前に座ってお祈りをしたり、お寺にお参りをするとき、あなたは何を祈っていますか。「仕事がうまくいきますように」「試験に合格しますように」でしょうか。これは「お祈り」ではなく「お願い」です。それはそれで気持ちが楽になったりしますから、いいことでもあるでしょう。しかし、本来の祈りとは違います。

 「自分は何ものなのだろう」。ほとんどの人がそう考えたことがあるでしょう。それは、日々の暮らしをしていく中で、自分自身を見失うことがあるからです。人はそれぞれの場所で、様々な顔をもって生きています。果たして、どれが本来の自分の姿なのか。その悩みを解き放つために祈りがあります。人間は生まれたとき、執着心や雑念などは一切ありません。それが人生を歩いていくうちに、多くの煩悩がまとわりついてきます。その雑念で、鏡が曇るように本来の自分の姿が見えなくなるのです。本来の美しい自分の姿と出会うために、祈りはあるのです。

 「仏」という言葉は、禅の世界では「本来の自分」と同意義で使われます。つまり、すべての人間には「仏」が宿っている。その「仏」と出会うために祈る。祈るとはすなわち、自分の心と対話することだと考えてください。この時間をもつことで、自分が見えてきます。この貴重な時間を、できれば一日に二度もってください。朝起きたときと夜眠る前に、静かに自分自身と対話することです。