「自分がそうしたいから、勝手にそうした」

夫婦でも、親子でも、恋人でも同じです。

 仕事の上司にも、後輩にも、友達にも当てはまります。

 親切も、気遣いも、手助けも、すべては相手への愛情表現。あなたが自分の意志で、やりたくてやったことです。何があってもそれに対して、相手からの見返りを求めてはいけません。

 見返りというと物質的なことだと思うかもしれませんが、もっと重たいのが気持ちの見返りです。

「私が、こんなにしてあげたのに、なんでなにもしてくれないの」

「ずいぶんがんばっているのに、僕の気持ちを、ちっともわかってくれない」

 時折、こうした不満を漏らす人がいますが、僕にいわせれば筋違い。ひとりよがりで、実にわがままな考え方だと思います。

 誰かが縛り付けたり叩いたりして、無理やりあなたになにかをさせたのでしょうか?

「ぜひ○○してくれ」と、意に添わないのに強引に頼まれたのでしょうか?

 たぶん、そんなことはありません。

 たとえ大変な苦労だったとしても、それをやると決めたのは、あなた自身です。そもそも自分がやさしくしたいから、その人に何かしてあげたいから、その表れとして行動したはずです。だったらそれだけで、十分ではないでしょうか。

 相手が応えてくれようとくれまいと、自分の幸せとして親切にする。尽くす。力を貸す。このスタンスが守れない人は、いっそなにもしないほうがいいくらいだと、僕は思います。

「してあげた」「やってあげている」

 少なくともこうした言葉は、自分の中から消してしまいましょう。

立場をスイッチして、相手から何かしてもらったときは、話はまるで別です。

 とはいえ、「お返しする」というのはダイレクトすぎるきらいもあるので、僕は感謝の気持ちと報告を忘れないようにセットしています。

 

 何かを教えてもらったときは、素直に喜んで耳を傾け、「ほんとうにありがとう」と一生懸命に感謝を伝えます。

 そして後日に、「教えていただいたことを、こう役立てています」あるいは「勧めてくださった本を読んだら、こんなことに気づきました」という報告をするのです。

 「ありがとう」は、相手がプレゼントしてくれた何かの種子を、だいじにうけとりましたという報告です。でも、これだけでは十分とは言えません。

 いただいた種をきちんと育てて、芽吹かせ、花を咲かせる。これまでのプロセスを相手に報告しながら、その都度お礼を言う、このくらいでちょうどいい気がします。

 この際、反応は早ければ早いほどいいのです。

 わからないことを教えてもらったら、その日のうちにさらに深く学び始める。そのくらいの意気込みで、自分がいったことを吸収しようとしていると知れば、教えた側は丁寧なお礼を言われるよりうれしいのではないでしょうか。

 こうなると、また何かを教えてもらえるし、「また会おう」という関係になれます。

 

○相手が応えてくれようとくれまいと、自分の幸せとして親切にしましょう。

○相手からなにかしてもらったときは、感謝と報告をお返しします。