大道通長安(だいどうちょうあんにつうず)

どの道も幸せに通じる

 

 この言葉は、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)の修行僧からの質問に対する答え。修行僧が「道とはいかなるものか」と質問すると、和尚は「道は垣根の外にある」と答える。すると修行僧は、「単なる道ではなく、大道を尋ねている」と言う。大道とは「仏道の道、すなわち真理への道」。これに対し、趙州和尚は「大道通長安」と答える。

 唐王朝の都である長安では、すべての道が長安に通じており、どの道を通ろうが皆長安に至るということは、仏道の道を究めることにも決まったものなどない。誰でもどの道を通っても長安に到達できるものなのだ。

 

 「幸せになる方法」「こうすれば幸福がつかめる」。こういった書物が書店に多く並んでいます。いわゆる幸せになるための技術が示されているのでしょう。こうした書物を手に取りたくなる気持ちはわかりますが、それで幸せになれるとはとても思えません。

 あなたにとっての幸せとは何ですか。もしもそれが、お金をたくさん稼ぐことだとしたら、それは、そのためのテクニックを学べばいい。出世することだけが幸せだと考えるなら、出世するための方法論を学べばいい。しかし、そんなものに幸せを見いだせないとしたら、幸福への道しるべは自分で探すしかないのです。

 

 幸福への道は一つではありません。この道を通らなければ幸福にたどり着けない。そういうものではありません。そこにたどり着く道は数え切れないほどあります。言い換えればその道は、人の数だけあるのです。どんな道でもかまいません。自分自身が決めた道を一生懸命に歩いていく。それがいつしか幸福という駅に導いてくれます。そして、最後に降り立ちたい駅は、みんなそれぞれ違います。人と同じ場所に行かなくても、自分が幸福を感じられる場所であれば、それが一番なのです。何が自分にとって一番の幸せなのか。いつもそれを考えることです。もちろん「一番」は時には変わるものです。ずっと一番のものもあるし、変わりゆく一番もある。それが何なのかを考え続けることです。