不安はあなたの「心の幻影」

 「思量」とは、一つのことに心を留めてしまう状態を意味します。何か心配なことがあると、そのことしか考えられなくなり、視野が極端に狭くなってしまうのです。

 体の不調もそうですね。どこか痛いところや具合の悪いところがあると、意識は全部、そこに集中してしまいます。

 大所高所から広く物事を見て判断しなければいけないので、“思量状態”は絶対に避けたいところです。

 心配事や悩みというのはどんどん膨らむ性質があるので、非常にタチが悪いのです。

 そういう場合は、心を「無」にするしかありません。禅の世界では、頭のなかを空っぽにして、心を「無」の状態にすることを「非思量になる」といいます。

 座禅をすると、頭のなかにいろいろなことが浮かんでくるものです。それらにとられず、右から左へと流すことが大事なのです。

 別のいい方をすると、鏡のような静かな水面にポーンと小石を投げると、波紋が広がる、それが物事を考えている状態。その波紋をなくそうと手を入れると、また新たな波紋ができてしまいます。そうではなくて、そのままの状態にしておく。つまり「非無量」になると鏡のような水面が自然と戻ってくるのです。

 

 とはいえ、背負うものの多い人は、頭のなかが心配事や悩みでいっぱいになってしまいがち。とくに夜は思考がネガティブに陥りやすいので、眠れない夜を過ごす方が少なくないのではないかと思います。

 よく寝ることは、明日への活力につながります。睡眠は、心配が心配を呼ぶ「負のスパイラル」を断ち切るのに役立つ時間帯でもあるのです。

 どうか寝る前の三十分は、仕事のことは一切忘れてください。座禅を組んだり、心地よい音楽やアロマのなかでくつろいだり、心穏やかな時を過ごすように努めてください。

 夜の闇のなかで考え事をするよりも、お日様が出ている明るい時間帯に考えるほうが思考がポジティブになるというものです。

 

そもそも悩みや心配事には、“実態”がありません。こんな話があります。

 達磨大師のもとで慧可が修行をしていたときのことです。慧可が、「私は心配で心配で、落ち着いていられません。どうか、この心配事を取り除いてください」とお願いしました。

 すると、達磨大師は「よし、わかった。では、その心配事を私の前に差し出してくれ。それを取り除いてやろう」といいました。

 慧可は困りました。心配事など、目の前に差し出すことはできません。それで、慧可は悟ったのです。「心配事には実体がなく、自分の心がつくりだしたものなのだ」と。ここに気づけば、あなたもたやすく「非思量」になることができるはずです。