禅の修行は、朝早く起き、坐禅を組み、お経を唱え、庭を掃き清めてお堂の掃除をし…と、毎日同じことの繰り返しです。それぞれを行う時間や作法も決められており、それをただひたすら続けていきます。禅の修行に終わりはありません。

 禅には「百尺竿頭に一歩を歩む」という言葉があります。これ以上ないほど長い竿の先端までたどり着いて、そこから歩を進めれば竿がポキリと折れそうな状態であっても、さらに一歩踏み出しなさい、という教えです。禅においては、「もうこれでいい」という考えを嫌うんですね。

 これは人生にも当てはまります。現状に満足して歩みを止めてしまえば、それが自分の限界になってしまうでしょう。「まだまだ先がある」と考えるからこそ、努力を積み重ねていくことができる。修行にも人生にも、「完成したからこれでおしまい」ということはないのです。

 多くの人の生活は、修行と同様に、同じことの繰り返しではないでしょうか。会社の仕事にしろ、家事にしろ、その日常は代わり映えのないものに思えるでしょう。

 変化のない毎日を送っていると、ふと疑問を感じることがあるかもしれません。このままでは、いつまでたっても自分の成長はないのではないか、と。

 しかし、同じことを繰り返しているようでも、これまでとまったく同じということはありえません。日々の繰り返しの中に、自分を成長させる新しい発見や学びが必ずあります。

 「平常心是道」という禅語があります。

普段通りに、当たり前のことを当たり前に行うことが大切であり、その中にこそ悟りがある、ということを意味する言葉です。

 「悟り」というと、長い修行の末にようやくたどり着ける境地だと考えるかもしれません。しかしこの禅語は、悟りとは特別なところにあるのではなく、普段の生活の中にある、ということを示しています。

 誰にでも、そのときどきに取り組むべきことがあります。目の前にある当たり前のことに集中して、ひたすら取り組む。そこにこそ、ありのままの自分の姿があり、それを見つけることが悟り、つまり「やすらかな心」を得ることでもある。そう考えるのです。

 変化のない日々を送れることがありがたいのです。今日も無事に一日を過ごせることがありがたい。朝、目覚めたときに、「また昨日と同じ一日が始まってしまった…」と思うのではなく、「今朝もいつもと同じようにスタートが切れて、ありがたい」と考えてみてはいかがでしょうか。

 淡々と繰り返される毎日の中に、「生きる喜び」があります。それを見つけて感謝する心をもつ。そんな生き方が、人生を豊かにすると思うのです。

 

・平常心是道

―淡々と繰り返される毎日の中に「生きる喜び」がある。

日々の繰り返しの中に、自分を成長させる発見や学びが必ずあります。変化のない日々を送れることにこそ、感謝しましょう。