三級浪高魚化龍(さんきゅうなみたこうしてうおりゅうとけす)

 「三級」というのは、中国の伝説上の滝のことです。この滝の流れはすさまじいもので、人が滝をのぼるなど不可能なこと。しかし小さな鯉たちは盛んにこの滝をのぼろうと挑戦しています。ほとんどの鯉が滝をのぼることができないままに命を落としていく。しかし、そのなかで一匹の鯉がついに滝をのぼりきった。そしてその鯉は天にまでのぼり龍の姿になったという逸話です。

 この禅語は「厳しい関門に立ち向かうことによって、新たな境地が開ける」という意味に併せ、どんな人間であっても良き師家に導かれれば、道を成すことができることを教えているのです。それは修行の厳しさを教えるとともに、心からのやる気をもち、よき指導者に導かれれば、どんな厳しい修行も乗り越えられることを言わんとしているのです。

 仕事をしていくなかで、不満や諦めというものはいつもついて回ります。こんな仕事をしたくはない。もっと他の仕事をしたいと思っているけれど、どうせ自分にはできない。まあ今の会社には満足ではないけど、それほど大きな不満もない。そうであるならばこのまま適当にやっていけばいいかと思ってしまう。人生はそんなものだと諦めてしまう。

 私の知り合いから聞いた話です。50歳の時に会社を辞めて独立した男性がいます。大手電機メーカーに勤めていた彼は、社内でも順調に出世をしていました。しかし彼のなかには、20代のころから開発したいと思っていたものがありました。しかし、今の会社にいる限りその夢がかなうことはありません。そこで男性は独立して小さな会社を始めたのです。しかし現実は厳しいものでした。開発はうまくいかず、借金は嵩むばかり。それまでの貯金も底をつき、とうとう念願の会社をも畳むことになったのです。自分の好きな製品を開発し、会社も大きくしていきたい。その夢ははかなくも散ってしまいました。いまでは生活のために開発とは関係のない仕事をしているそうです。年収は3分の1になったそうです。周りから見れば、彼の人生は失敗だったと思えるでしょう。明らかに選択が間違っていたということになるかもしれません。ところが彼の言葉には微塵も後悔の文字がありません。

 「会社を立ち上げたという意味では失敗だったといえるでしょう。しかし、それで私の人生が失敗したとは思っていません。まだまだ私の人生は道半ばです。人生が続く限り、私は三級の滝をのぼり続けたいと思っています」

 毎日生活のために仕事をしつつも、男性は夢を諦めたわけではありません。次なる挑戦への準備を始めています。

 もちろん今の会社を辞めて、独立することを勧めているわけではありません。現実的には失敗する人のほうが多いでしょう。言いたいことは、何が自分にとっての成功で、何が失敗なのか。それを自分自身の心に問うこと。人生にとって重要な仕事をどのように捉えるかということなのです。

 会社のなかにいても、チャレンジする心を失ってはいけないと思います。そこにどんな厳しい滝があろうが、それをのぼり続ける努力をすることだと思います。まあこんなものでいいかと、のぼることを諦めた後悔。それは小さな棘のように消えることはありません。反対に思い切ってチャレンジしたけれど失敗してしまった。それは後悔としては残らないでしょう。本気で取り組んだことに後悔の念は残らない。それが人間だと思います。後悔の念とは、あなたが目を逸らしたそこにこそあるのです。