相手に合わせて丁寧に教え導くこと

 「老婆心だけど、一言いい?と前置きされると、誰でも「何をいわれるのだろう」と身構えてしまうものです。

 案の定、そういった場合の忠告は、「そのファッションは職場で浮いているよ」とか「あの人は意地悪だから、気を付けたほうがいい」など、たいていは単なるおせっかいに過ぎません。

 「言われなくても、わかってます」「私の勝手でしょ」と、相手に言い返したくなった。あるいは、実際に言って険悪な雰囲気になった。そんな経験もあるのではないでしょうか。

 しかし禅宗では、老婆心は「老婆心切」とも言い、よい意味で使います。

 老婆が、幼い子供に手取り足取りいろんなことを教えてあげるように、師匠が弟子の個性や習熟度に合わせて、丁寧に教え説くこと。

 人に合わせて細やかな配慮をして、親切に教えることを指すのです。

 今では、新設が行き過ぎておせっかいを表わす言葉になっていますが、相手に関心を持ち、その状態に合わせて臨機応変に対応することは、教えを導く際だけでなく、コミュニケーションの基本と言えるでしょう。

 以前、こんな話を聞きました。知人が多人数の集まりに行く際のお土産にしようと、ドーナツ店に行き、ドーナツ50個を注文したそうです。すると店に、「店内でお召し上がりですか」と言われて呆れてしまったとか。

 マニュアルは、作業を標準化するには便利です。

 しかし、そればかりに頼っていると、自分の目で相手を見て、お互いに心を通わせる人間味あふれた交流が失われるかもしれません。

 マニュアル化が進む現代だからこそ、過度な老婆心が必要なのかもしれませんね。