人間関係におけるつきあい。

さまざまなつきあいがある中で、いわゆる会合や飲み会などというものがあるでしょう。たとえば会社にいれば、忘年会などをはじめとして、社内や部署内での集まりはどこにでもあるものです。

そのような会合は、半ば「公式行事」として考えることです。

 

 会社の飲み会などにはできるだけ参加したくない。会社を出てまで社内の人間と顔を突き合せたくない。中にはそういう人もいると思います。

しかし会社という組織にいる限り、あまり勝手な行動をとることはできません。そのような「公式行事」には、仕事だと割り切って参加することが必要だと思います。

 やはり日本社会というのはチームワークを大切にしていますので、その輪を乱すことをしてはいけないと思います。多少気が乗らなくても、淡々とその時間をやり過ごすことです。

 

 さて、悩ましいのは、プライベートにおける集まりです。

会社の同僚から誘われたり、あるいは友人から誘われたり。これは公式行事ではありませんから、自分の気持ち次第で断ることもできます。

簡単に言うなら、行きたくなければ行かなければいいのです。その一言に尽きるのではないでしょうか。

 

それでも悩むというのはどうしてでしょうか。

 

それはきっと、参加をしなければ仲間外れにされてしまうという心配があるからだと思います。

一度断ったら、もう二度と誘ってもらえないかもしれない。

参加しなければ自分の悪口をいわれるかもしれない。

もしかしたら、そんな恐怖心がどこかにあるのかもしれません。

 

 しかしよく考えてみてください。それはなんとも幼い考え方だと思いませんか。

一緒に行動しないと仲間外れにする。その場にいない人の悪口をいう。

それは小学生レベルの人間関係です。

まあ中学生や高校生ならばわからないでもありませんが、大の大人が心配するようなことではありません。

 もしも飲み会などに誘われて、断ったせいで仲間外れにされたとしたら、それだけの人間関係だと思うことです。

そんな人間関係の中にいる必要はないと思います。さっさと縁を切ってしまうことです。

 

 人間にはいろんなタイプの人がいます。

たくさんが集まるのが好きな人もいれば、少人数で静かに飲むのが好きな人もいる。

あるいは一人きりの時間を過ごすことが好きな人もいます。

大人というのは、お互いのことを認め合い、それぞれの考え方を尊重できる人のことです。

 自分がワイワイと飲むことが好きだからと言って、みんなをそれに巻き込む。

巻き込まれない人に対しては良い感情を抱かせない。そういう人はきっと、心が成長しきれていないのでしょう。

いたずらに周りを巻き込まない関係こそ、大人としてのマナーだと私は考えています。

 

 そしてもう一つ。孤独というものを恐れないことです。

いつも誰かと一緒でなければいけない。独りでいると、置いてきぼりになったような気がする。

そんな感情があるから、つい気が乗らない集まりにも無理をして参加しようとする。

要するに孤独になることが怖いだけではないでしょうか。

 

 人間はもともと孤独な存在です。生まれるときも死ぬ時も独りです。

会社の中にいて、たくさんの同僚たちに囲まれていたとしても、それは単なる現象に過ぎません。

いかに多くの人の中に身を置いていても、最終的には自分一人であることを心に留めておくことです。

 そして孤独であることは、けっしてマイナスのことではありません。

孤独であることを意識するからこそ、相手との人間関係を大切にしようとするのです。

孤独だからこそお互いの心を寄せ合おうとする。

 

表面的な孤独を恐れないようにすることです。