何に対して喜んでくれるかはわからないけれど、自分が感動したこと、夢中になっていることは、できる限り伝えるようにしています。相手に差し出せるもの、与えられるものがなければ、繋がり続けることはできない、そう思っているからです。

 どちらかが常に与える側で、どちらかが常に受け取る側。こんな関係は長続きしないでしょう。

 人とつながるチャンスは日々のなかでたくさんありますが、チャンスを生かし切れていない人が、多いように感じます。

 せっかくできたつながりを、長く続くように育て、深めていくには、与え続ける覚悟がいる。僕はそう信じています。

 

 ごはんをごちそうになると、翌日に電話をしたり、メールを送ってお礼をし、どこかに出かけたらお土産を渡すというお礼もしています。ごちそうになって当然、という甘えた態度は失礼きわまりないと思うからです。

 しかしこれは、ごはん代をお土産で返す、という即物的な話ではありません。目に見えるものと目に見えないものでバランスをとることもあります。

 たとえば、僕には定期的にあっている友だちが何人かいます。同年代なので、「今日は僕が払うから、次は君が払ってね」という方式で勘定します。信頼関係の表れともいえます。

 お金の話だけでいえば、一応バランスはとれているわけですが、これだけでは関係のバランスはとれません。

 僕が彼に何かを与えているから「また会おうよ」と誘ってもらえます。僕も彼に何かを与えてもらっているから、「また会いたい」と感じるのです。

 情報でも、その人が喜びそうな話でも、何でもいいので心の手土産だけは忘れないようにしています。二人が会う貴重な時間の間、相手が存分に楽しむ、何かを得る、発見する。そのための「おもたせ」をお互いが持ち寄らなければ、関係のバランスはとれないということです。

 自分と会うことで、相手に決して損をさせない。これは人間関係を深めるうえでの鉄則ではないでしょうか。

 こうした関係の友人が、たまに「ごめん、今日は何もあげられるものがないんだよな」ということもあります。しかし「なにかあげようと、僕のことを考えてくれた」と感じるので、それがうれしいおもたせになります。

「この人といると、自分が満たされる、幸せになる」

 そう思うから、人は恋をするし、深くつながりたくなる。男女の間に限らず、お互いがいつも相手に何かあげたいと願い、損をさせたくない覚悟で与え続けるというのは、素敵なことだと感じます。

 自分にかかわってくれる人への感謝の気持ちと責任、思いやりだと思うのです。

 このように考えていくと、心してごちそうしていただくようになります。感謝の気持ちも自然と生まれます。年を重ねるごとに、たくさんのものを与えられる人になりたい、そんなことも思います。

 

 

 教わるとき注意したいのが、教わりっぱなしにしないこと。

「これについては、こんな本が出ているよ」と教わったら、必ずその本を読みます。自分なりにさらに学んで発見があれば、逐一報告します。さらに、おかえしもできたらもっといいでしょう。

 知人がある時、日本文化研究者の角田柳作さんについて教えてくれたことがあります。

 角田さんは東京専門学校(のちの早稲田大学)を卒業して教師になり、明治42年にハワイに渡って教鞭をとります。その能地、40歳でニューヨークのコロンビア大学に学んだ後、「日本文化研究所」を創設したそうです。

「この人の存在があったからこそ、正しい日本というものが、ずいぶん外国に伝わったんだよ。『無名の巨人』と言われているけれど、こういう立派な人の存在は、無名のままにさせちゃいけないな」

 知人がぽつんと言った明くる日から、僕は夢中になって角田柳作さんについて調べ始めました。ドナルド・キーンによって書かれたもの、司馬遼太郎の『街道をゆく』など、角田さんについてのさまざまな資料が出てきたので、自分なりに分類しました。

 それから知人に「このあいだ教えていただいた角田柳作さんについて調べてみたんです」と報告します。さらに「これはもしかするとお持ちでない資料かもしれませんので、コピーをお送りします」と、自分なりに知識を積み上げた、おすそわけもするのです。

 教わりっぱなしにしない気持ちを行動で示せば、もっともっと、いろんなことを教えてもらえます。何より、教えたほうも喜んでくれるのです。

 知ったかぶりをせずに、教わり上手へ。

 教わり上手から、教えてくれた相手とのさらなる深いつながりへ。

 こんな連鎖は、何度繰り返しても楽しいものです。

 

 

 知ったかぶりをしたらおしまい。いつも思っています。

「そんなことはしない」という人も、知らず知らずのうちに、家族やごく親しい間柄の人の気持ちを、知ったかぶりしてはいないでしょうか?

「いいよ、もうわかったよ」

 相手の話を遮るのは、親しさゆえにその人のことを「わかったつもり」でいるからでしょうが、それは驕りです。いくら深いつながりでも、相手が子どもでも、あなたとは違う一個人なのですから。

 ろくに聞きもせず、わかったつもりになってはいけません。

 相手が言わんとしていることを、素直に、謙虚に、教えてもらう。これはとても大切なことで、何度となく思い出したほうがいいことです。

 知識についても、知ったかぶりは禁物です。

 いっぱしの大人の年齢なのに、知らないことがたくさんあるのは、恥ずかしくもあります。しかし、その場は恥ずかしい思いをしても、「教えてください」と問うたほうが、あとあと、よほどいいのです。

 インターネットがあればなんでも調べられる時代ですが、そこにある情報の精度はわかりません。表層だけみてわかったつもりで、実は理解していないこともたくさんあります。

 ある上場企業のトップの方は、わからないことがあればきちんと「私はそれを知らないので、教えてください」とおっしゃるそうです。

 文化的な素養もあり、世の中にさまざまなことを発信する大企業のトップですから、「まさか、この人が知らないはずはないだろう」とみんな思うでしょう。

 しかし、一つを極めている人だからこそ、全方位的な知識の持ち主ではないのかもしれません。ほんとうに偉い人ほど情報通ではなく、もしかしたらなんでも知っているのは側近の役割なのかな、とも思いました。

 いずれにしろ、それほどの人が、「知らないことは、知らない」と言うと聞き、僕はちょっと安心しました。知ったかぶりをせず、きちんと教えてもらったほうがいいという思いを強くしたのです。

 妙なごまかしをせず、「この人なら、詳しいだろう」という人に、心を込めてお願いする。そうすれば別の世界が広がります。生で人から教えられる情報によって、仕事の幅も生活の幅もぐっと広くなるということです。

 目指すところは、教わり上手。

 教わる時は、謙虚でありたいし、素直でありたい。ユーモラスに、笑顔を絶やさず、愛嬌のある態度でお願いしたいものです。

 

○知ったかぶりをせず、謙虚で素直な教わり上手になるのは大切なことです。