先月発売された、小室哲哉さんへのインタビュー本、「WOWとYeah 小室哲哉 起こせよ、ムーヴメント」を読みました。
私、ブログでこうやってときどき小室さんのことを書いております通り、実は結構な小室哲哉ファンなのです。
以前はよくTMのライブも観に行ってましたし。
直筆のサイン色紙なんかも持ってたりします。
本のタイトルである「WOW」と「Yeah」は昔から小室詞に頻繁に登場する謎ワード。
なのでこの本のタイトルには笑ってしまいましたが、いや「ラララ」も地味に多いんだよなあとか思いつつ。
ダンスミュージック、若者のカラオケ文化、そして“プロデュース”という言葉を日本に定着させた天才が語る舞台裏。
でも実は小室さんてお人好しの社畜体質なんですよね…。
頼まれたら断れなくて、結果、仕事抱えまくって締め切りに追われる日々。
時間が足りなくなれば睡眠時間を削って仕事をするというスタイル。
良くも悪くも他人に頼るってことができない人なので、仕事の規模が大きくなればなるほど、ただただ本人の仕事量が増えるだけなんですよね。
小室さんの生年月日を見れば仕方のないことなのだけど、命令できない人、指図できない人は働き方考えなきゃね。
音楽制作とプロモーション戦略はズバ抜けて天才的だけど仕事術はちょっとどうかな?と。
こちらの本では、そんな華々しく活躍していた裏の孤独な戦いの日々を回想しつつ、今感じること語っています。
特に四柱推命的な視点で印象深かったのは華原朋美さんと安室奈美恵さんの章。
まず華原さんに対する小室評として、『あの頃の華原さんには、そういう自分を曲げない強さみたいなものがありましたね。』と。
当時、華原さんへ『I'm Proud』の歌詞の初稿を見せた際に、小室さん的には未だに何が気に入らなかったのかわからないそうですが、歌詞を書いた紙をホテルの暖炉へと丸めて捨てられてしまったそうで。
本来ならプロデュースを受ける側なのに、ですよ。
プロデューサーが書いた歌詞投げ捨てますか普通?
でもこのエピソードは、あり得るよなあって思って。
庚日の身旺で、自分の意見がはっきりしている、竹を割ったような性格をしているであろう華原朋美さんですからね。
癸日身弱多財の小室さんはタジタジで振り回されるような関係性だったろうなと想像できます。
それから安室さんについては、『安室さんという方は、アイデンティティの塊というか、「私はこうしたい」という芯をしっかり持っている。嫌なものは嫌だと言うし、『Body Feels EXIT』からずっと自分の「アイデンティティ」を歌っているんです。それが彼女の魅力でもあるわけです。(中略)彼女のアイデンティティがまずあって、僕がフレキシブルにそこに合わせていくという形でした』と回想しています。
こちらもまさに”庚日らしい”話。
安室さんも庚日の身旺で、よほどのことがない限り自分を曲げるということはないだろうなと思いますからね。
小室さん、プロデューサーを名乗ってる割に振り回され過ぎだよ。
なんてことを思っていた私はふと、とんでもないことに気がついてしまったのです。
そう言えば小室ファミリーってやたらと庚辛日の人多くない?と。
私の頭の中では日頃の研究の成果が繋がって、小室さんの周りの人たちの生年月日が思い出されていきます。
点と点が繋がるかの如く、生年月日と生年月日とが小室さんの周りをグルグルと囲んでいくイメージが浮かんでくるわけです。
ちょっと待て。
思い出せば出すほど、本当に庚日と辛日ばかりじゃないか?
そこで改めて全部調べ直してみました。
まずTM NETWORK。
小室さん以外の、宇都宮さん木根さんどちらも庚辛の身旺です。
宇都宮隆 1957年10月25日
木根尚登 1957年9月26日
小室哲哉 1958年11月27日 17:05
小室さんがTMのリーダーではありますがウツと木根さんを引っ張っていくわけではなく、悠々自適なお二人とは対照的に小室さんばかりが働かされてる状況が想像できます。
というか実際にそうだったらしいです。
ずっと小室さんだけがスタジオにこもってシンセの打ち込みと曲作り。
バックトラックが完成するまでサポートメンバーとウツさん木根さんがファミコンで遊んでいたのは有名な話。
それから上にも書いた華原さんと安室さん。
華原朋美 1974年8月17日
ヒューヒュー
懐かしいですね。
華原さん、生年月日だけで見るとそこまでぶっ飛んだ人ではなさそう。
やばい時期もありましたが、あの時は大運がね…。
安室奈美恵 1977年9月20日 18:30
安室さんもこの通り。強い…。
ミスティオと言えば、どーこへーでもー、続くー道があるー♪
懐かしい。
まだまだいます。
小室プロデュースでソロデビューした篠原涼子さん
デビューシングル『恋しさとせつなさと心強さと』は200万枚を超える大ヒット
1973年8月13日 10:30
globeのヴォーカルで小室さんの元嫁のKEIKOさん
来年のglobe30周年はどうなる?
ちなみに元SMAPの中居正広さんも同じ生年月日
1972年8月18日
ここまで全員、庚辛日の身旺さん。
ご覧の通り、小室哲哉の音楽家人生における主要な登場人物はほぼほぼ庚辛日の身旺だったのです。
今までの登場人物だけでこの本の8割型がカバーできてしまいます。
いくらなんでもこれは偏りすぎです。
そして、プロデュースしたのは庚辛日の身旺だけでありません。
本人が小室哲哉のファンだということでプロデュースへと繋がった観月ありささん
今はあまり歌手のイメージがないかもしれませんが、小室プロデュースの『TO SHY SHY BOY』は自身最大のヒット曲に。
1976年12月5日
dosのメンバーでのちに小室さんと結婚し子を儲けたasamiさん(のちに離婚)
1975年3月5日
なんか埋金率も高くない?
そして最後は小室プロデュースのTRFのダンサーで、安室さんと結婚したこともあるSAMさん
1962年1月13日
こちらは寒くて寂しがりやさんの命式。
こうしてみると本当に庚辛日の人ばかり…。
もちろん庚辛じゃない人もいましたよ、TRFのヴォーカルのYU-KIさんとか。(YU-KIさんは壬日の身旺)
だけどあまりにも庚辛の人が多すぎる。
小室プロデュースでミリオンヒットいった歌手の中で庚辛日でない人は、ダウンタウンの浜田雅功さんと、TRFのYU-KIさんだけなんです。
それ以外は上記の通り、篠原涼子さんのダブルミリオンに始まり、華原朋美さん、安室奈美恵さん、globeのKEIKOさんと、全員庚辛日の身旺。
みなさん別段、生年月日が小室さんと相性が良いというわけでもなさそうなのに、なにこれ?
なぜこうなる?
ちなみに。
よほどの小室哲哉マニアじゃなければ知らないであろう、“小泉洋さん”という小室さんの学生時代の知り合いで最初の相方となった人が居るのですが、この人も辛日の身旺。
初期のTMのプログラミングにも携わっていました。
小泉洋 1958年8月12日
これはこれは…。という感じの命式。
一体なぜ小室さんは金に囲まれるのか?
謎です。
四柱推命では説明がつかない謎。
もしかしたら最初は本当に偶然だったのが、途中から細木数子のおかしな入れ知恵の悪影響があるのかもしれないと疑いたくなるほどですが、真相が語られることはないでしょう。
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