「こういう場があったらいいな」
という思いのもと、私は、2020年6月末より、
だいたい週1ペースで、高校生と共に、
グループディスカッションを行ってきました。
2020年度、全25回、
参加してくれた生徒、1回こっきりという生徒も含めて、30数人。
1回の最大参加人数、14人。
1回の最小参加人数、4人。
平均して、だいたい、1回のディスカッションに、約8人が参加してくれました。
ちょこちょこ休みつつも、
全25回の内、半分以上参加してくれた、レギュラーメンバーと言える生徒が、約15人。
その中で、数人が卒業し、
そして、今年度が始まり、
今のところ、
対面ディスカッション、5回目が終了。
特別枠で、オンラインでの開催が、全5回で終了済み。
(あっ、2020年度は全て対面式です)
今年度に入ってからは、
新たなメンバーがさらに加わっています。
今年度に入ってから、
対面ディスカッションを重ねる中で、
私は、
確かな手応えを感じています。
冒頭で述べた、
「こういう場があったらいいな」という思い。
それは、以下のようなこと。(完全には説明しづらいのですが…)
様々な価値観を持った人達が、
それぞれ自分をありのままに表現し、
それが共存できる場。
「自分の大事な思いが傷つけられるのは嫌だから、言わないでおこう…」という構えのもと、
その集団の中に居続けるのではなく、
自分の、
喜び、怒り、悲しみ、恐怖、
その全部を話すことができ、
それが、認められる場。
それが、きちんと、丁寧に扱われる場。
気を遣われるのではなく、尊重されるカタチで、大切に扱われる場。
誰かが嬉しい内容の話をして、その場がそういう空気になった。「この雰囲気を壊してはいけないかな…、心が沈むような話はしないでおこう…」ではなく、
急に心が沈むような話をしても、必ず、真剣にそれが受け止められる、そんな場。
「心が晴れている」、そんな状態から出てくる話だろうが、
「心に音もなく雨が降っている」、そんな状態から出てくる話だろうが、
何だってOK、
1回のディスカッションで、いろんなテンションの話が共存する、そんな場。
素直な気持ちをいつでもしゃべって良い、そんな場。
自分のことを話すことに慣れていて、言葉が巧みな生徒、
自分のことを話すのが苦手で、うまく話せないという生徒、
その両者が、共存できる場。
それぞれが、安心した心で常にいられる場。
などなど。
私の役割は、
それを可能にする話の聴き方をし、
そして、適切な評価をし(過大評価も過小評価もしない、気を遣うこともしない、ありのままをただ柔らかくキャッチする)、
全体のバランスを取りながら、話を振っていく。
そんなところ。
さらには、私の過去についても、ガンガン話します。
話しやすい空気をつくるために。
「あっ、話してもいいんだ」と思ってもらえるために。
(正直なところ、私もしゃべりたい、という部分もあります笑)
2020年度は、
試行錯誤の連続でした。
「今回はうまくいったのか?生徒に、マイナスな思いのみを残してしまったのではないか?」と、終わった後に、自問自答することもありました。
参加してくれた生徒が、
継続して来てくれる、
それは、ただただ嬉しく、そして、「その生徒達がこの先もずっと参加してくれるためには、これからどんな工夫が必要だ?」と、毎日考えていました。
そして、無事、25回を終え、
新しい年度が始まり、
新しいメンバーが加わり…
新しいメンバーへ、
昨年度からのレギュラーメンバーが、
宮川ディスカッションってどういう内容なのか、どんな気持ちで参加すればよいのか、など、
説明してくれました。
彼ら彼女らは、
それぞれに、このディスカッションの良さを抱いてくれていました。
そして、その中で出た話でもあり、
私自身、気付いていたことでもあるのですが、
私の想像を越えていた、
このディスカッションの成果というのがあって、
それは、
お互いの、過去のありのままの出来事や気持ちを聴き合うことで、
いつの間にか、
メンバー全員に対して、「尊敬」の念が生まれているということ。
それが誰であろうと、
「尊敬しあう」というカタチに向かっている。
気付いたらそうなっている。
心の距離感が、もの凄く、程よいのです。
遠いようで近くて、でも近いようで遠い、そんな距離感。
尊敬しあうということは、安心しあうということです。
私は、
宮川ディスカッションを一緒に作り上げてきてくれたレギュラーメンバーのことを、
「仲間」だと思っています。
ホントは、「友達」と言いたい。
それぐらいです。
昨年度は、
これでいいのか?もっとよいやり方があるんじゃないか?と試行錯誤の連続でしたが、
今年度、
私は、楽観的にいます。
それは、
昨年度のレギュラーメンバーを信用しているからです。
昨年度、
話しやすい空気をつくるために、私は、自分の話をいろいろしていたのですが、
その役割すら、
昨年度からのレギュラーメンバーが、今はしてくれます。
彼ら彼女らのおかげで、
軌道に乗っています。
それを、
私は凄く感じているのです。
宮川ディスカッションを始めて、
ちょうど1年、
宮川ディスカッションの、基礎は完全に固められた、
そう感じている最近。
レギュラーメンバーの、未だ知らなかった新たな面や、昨年度からの変化・成長の話、
そして、新たなメンバーの、言葉ひとつひとつ。
私はそれが、楽しくて仕方がない。
ワクワクします。
真面目な話、
それらは、私にとって、どんなに優れた小説や映画よりも、価値がある。
そこに広がる現実、喜び、妙に共感する部分、過去の悲しい・悔しい思い、様々な葛藤、その年齢にしてそんな経験をしてきたのかという驚き、その年齢で自分のことをそこまで言葉に出来るのかという驚き、などなど…。
ネット上ではなく、
目の前に、
私の心を揺さぶる物語が、あるのです。
それぞれが、その人生をこれからも生きていく。現実。
それを知る、それはもはや、仲間。
「誰々、今がんばっとんだろうなぁ」
「誰々は相変わらずかなぁ」
なんて思いながら。
私は、このチームは、世界中のどんなチームにも負けない、素晴らしいチームだと、思っています。
ちなみに、宮川ディスカッションでは、
「否定はしない、意見もしない、アドバイスもしない」というカタチでやってます。
将棋でいうところの、王手はしない。
「解決」には向かっていないのです。
「私はこう思います」
「私は今こんな風です」
「私の考えはこうです」
「過去にこういうことがありました。私はこう思いました。そして、こう考えるようになりました」
などなど、
ただ、それらを言い合う。
それが、
ありのままに受け止められる、
そこに安心が生まれる、
真剣になれる。
自分のことを話す、
それは、
自分の心を言葉にし、説明するということ。
「自分の言葉」を持つということ。
「自分の言葉」のレベルが上がるということ。
そこ、
そこなんです。
心理学云々は正直どうでもよくて、
そこなんです。
「解決」するにはどうしたらいい?という話に向かうのではなく、
ただ、それぞれが、自分を話す。それを繰り返す。誰かの話がきっかけに、自分の滞っていた思考が循環し始めたり。
それを、(週1ペースで)繰り返す。ただ繰り返す。
するとどうなるかというと、
月日が経ち、
様々な行動の中で、自ら成長していく。
新しい大きな気付きを得る。
過去の自分からの脱皮。
それを、またディスカッションの中で話す。
それを聴けたとき、私は思います。
「待つ」ことがいかに大事か、と。
「きっかけを、自分で掴む」ことの大切さ。
私は、
1人1人の中にあるはずの、人としての「たくましさ」を信じる。
1対1ではなく、
グループでやるからこそ、
それが、スムーズに成り立ちます。
人生、
何かにつまずいて、
心の循環が滞ってしまうことがあります。
あるいは、
循環してても、
そのスパイラルが負の方向に向かっていたり。
それらを、
その状態よりも良くするために、
1対1で心理カウンセリングが行われることもあるわけです。
滞っている心を循環させたり、
スパイラルを負の方向ではなく、正の方向に整える。
しかし、
私は、
それを、
集団の中で、
心理学とか関係なく、
「素直な心」を交流させることで、成していきたい。
日本人の特徴として、
空気を読むのが上手く、それに馴染むことも上手い、という点があると思います。
「みんなが当たり前にやっている」ことは、あぁそういうもんなんだ、と、みんなに溶け込んでいく。
それを、逆手に取る。
まず、心が解放されている空気を、集団でつくる、
そこに、心を閉ざしている人間が入る、
最初は、疑心暗鬼が拭えないかもしれない、
しかし、何度もその空気を浴びることで、
肩のチカラが抜けていく、
あとは、最初の一言を発する勇気。
グループだからこそ出来ること。
孤立させない。
自分で考え、行動する、
その結果に対し、じゃあ次はどうする?
自分で考える。
それが、まず軸として、それぞれにあり、
それを、報告しあう、
安心できる場で、
尊敬しあえるメンバーの中で、
報告しあう、
そんな場。
宮川ディスカッション、
改め、
宮川エンカウンターグループは、
そういう場です。
人生のサービスエリアみたいな。
微妙な例えですが。
親愛なる仲間に愛を込めて。