私が高校生に向けて行っている授業に、仮に名前を付けるなら、
宮川エンカウンターグループ『傾聴と自己開示』
というような感じかと。
2020年6月末からスタートした私の授業ですが、先日、60回目を終えることができました。
30回目を終えたときに書いたブログも参考にして頂けたらと思うのですが、
だいたい週1ペースで、1回あたりの参加人数が平均して8人くらい。毎回私を含めて約10人前後の人数で、ここまで進めてくることができました。(ここ1年は、8人9人が参加という回が多く、たまに5人とか、逆に13人くらい参加という回もありつつ)
さて、今日は、
60回の授業を終えて、改めて、
宮川エンカウンターグループの目的や意義、そして可能性等をまとめてみようと思い、ブログを書いております。
①どんな内容の授業か?
②生徒の声・感想
③こういう人に活用してほしい
④『思考の偏り』をゆるやかに
⑤持続可能なコミュニケーション
⑥つまりは、
⑦最後に
①どんな内容の授業か?
まずは、どんな内容の授業かというと、
シンプルに言うと、
「自分のことを話し、他人の話を聴く。ただそれだけ」
という授業です。
少し具体的に言うと、
みんなで輪になって椅子に座り、
何かしらの(心に関連するような)テーマのもと、それぞれ自分のことを話し、そして他人の話を聴く、というもの。
それをただただ繰り返すという授業です。
「自分はこうです。こう思います。こう考えます」
「こういうことがあって、自分はこう思いました」
などなど、そういうのを言い合う。私も含めて。
それをただみんなで共有する。
ときに誰かの話を聴いて、
「自分もそうだな」「自分は違うな」と思うようなことがあれば、それもまた、ありのままに口にする。
(『私は』を主語にするよう気を付けながら)
「普段言わないけど、ずっと心にあること」
「本当は言いたいんだけど、言えたことがないこと」
など、そういうことも含めて、
自分の心にあることを、偽ることなく、ありのままに言葉にする。
私が全て、やわらかく受け止めます。
自分にとって大切な、とても繊細なことから、
些細などうでもいいようなことまで、何でもOK。
ただし、
否定は、ルール違反。
もし否定したくなったなら、「何で自分はこんなにも否定したくなるんだろう?」と自分に矛先を向けてみるよう、生徒には話しています。
また、
アドバイスや議論をする場でもないので、
誰かの話に対して「こうすればいいじゃん?」と答えを言うというか、自分の価値観を押し付けるような発言も、ルール違反。
宮川エンカウンターグループは、
「悩み相談」の場ではなく、あくまで、「自分のことを話し、他人の話を聴く」だけの場なので、
「悩みを解決」という方向にも向かいません。
ときに、最近悩んでいることというか、ずっと頭を巡っていることを話してもらうこともありますが、
それはあくまで、言葉にして口に出すことで(吐き出すことで)スッキリするため。そこで終わり。
と、
そんな感じの授業内容です。
ちなみに、何回かに1回、授業の最初に話すようにしてる話がこれ↓です。
『誰だって、心が晴れ晴れとしているときもあれば、心に雨が降っていたり、暗い雨雲で満たされているようなときもある。
と、私はそう思っています。
ここでは、どんな話もOKです。
心が晴れているときの話、心に雨が降っているときの話、何でもOK。
明るい話が続く中で、急に重たい話が出てきても、全然OK。
ここは、
それが出来る場所、可能な場所です』
②生徒の声・感想
ではここで、実際に宮川エンカウンターグループを私と共につくってきた参加生徒の声を紹介。
まずは、何度も授業に参加してこの授業の意味をよく知っている生徒達が、新しく入ってきた生徒達に向けた言葉。
・思いついたことだけでも喋ればいい。堅苦しくなく。
・とりあえず来て座って、まわりの話を聴くだけでもいい。そうこうしてたら、話したいと思うときが来るかもしれんし。
・素直な気持ちを口に出してよい場所。
・本音を言える場。ラクなところ。
・新たな発見がある。その日が終わってから何かに気付くこともある。
・自分の考えを変えることなく、他人の考えを自分の中に入れれる場所。
続いて、何度も参加してくれている生徒達の、「授業に参加する理由」
・自分の意見を、積極的に外に出したいから。吐き出すと軽くなる。
・初めて参加したとき、いろんな考え方を知って、自分の固定概念が、狭いな、と感じた。
・『静かな空間』で話せる、聴ける。
・ここでは、自分の意見を正直に言えるから。普段は、建前を口にしてしまう。
・普段、1人でいるとき、かなりネガティブ思考。それに対して、ここでは「自分だけで考えない」が出来る。
・普段、自分の意見が、他人と違うんじゃないか、という不安がある。授業に参加してみて、共感できること、たくさんあるし、共感されることもある。親ではない支え。
・授業終わった帰り道に、さらに思考を深めていく、それが好き。
・「話していたら涙が出てくる」それが可能な場なんて、日常になかなか無い。馬鹿にされることも、笑われることもなく、ここではそれが出来る。
③こういう人に活用してほしい
基本的には、誰が来ようがwelcomeだし、いろんな人が来れば来るほど、その日の授業内容が広がっていき、充実したものになっていくのですが、
そんな中でも、私には、特に、こういう状態にある人に活用してほしいな、という思いがあります。それは以下のような状態。
・心が晴れない
・心にわだかまりがある
・真剣に自分と向き合おうとしている
・切実な葛藤がある
日々、心が晴れているばかりなら、それは幸せなことかもしれない。が、そんなことはなかなか無いのではないか?
ときに、避けては通れない問題が立ち塞がる、そういうことだってあるだろう。あって当たり前だと思う。
「どんな問題が起きても自分なりのノウハウで攻略していける」と、そこまで辿り着けたなら、その先の人生はスムーズかもしれない。
しかし、成長過程において、その「自分なりのノウハウ」がなかなか見つからない、そんなこともあるだろう。
いろいろ試したけどウマくいかない。ため息をついて、立ち止まってしまったり、もどかしい思いで息苦しかったり。
それでも、がむしゃらに立ち向かい続ける、真剣に自分と向き合おうとする。
高校生という時期、その「自分なりのノウハウ」をまさに見つけようとしている最中の子達がいます。
私は、そういう子達に対し、年齢なんか関係なく、その心を大切にしたいと思うのです。
それぞれに大切な思いがあるということを共有し、「誰々も頑張っとるし、自分も頑張ろう」と思えるような仲間でありたい。
私は、真剣な心、純粋な心、素直な心、それらと接していたい。
私の授業を使って、自分の中に溜めてることを吐き出し、停滞している心を循環させてほしい。
自問自答の出口として、どんどん活用してほしい。
また、
私には、次のような思いもあります。
小さい頃の生活環境の違いから、
自分について話すことに慣れている人もいれば、それに慣れていない人もいるわけです。
その両方が、私にとってはwelcomeなのですが、
自分について話すことに慣れている人(躊躇がない人)は、
自分の言葉のレベルアップや、自分の世界を広げるために、授業を活用してほしい。
一方、
自分について話すことに慣れていない人(拒否反応を示してしまう人)は、
まずは、自分のことを話して肯定されるときの『安心感』を体感するところから始めてほしい。
そこからスタートし、徐々に「自分の言葉」を持てるように。
④『思考の偏り』をゆるやかに
60回の授業を終えて、最近見えてきた、私の授業の新たな価値をひとつ。
「自分の当たり前」が、イコール、この世界での唯一の正解、
というような勘違いを、小さい頃いくつも持っている、
誰だってそんなもんだと、私は思っています。
また、小さい頃は、
「親からのOK」が、本人の行動範囲や思考範囲の限界(外枠)、という風に言えるのではないか?と私は考えています。
そして、成人とは、
世の中で自律してやっていくスタート地点、とでもいいましょうか。
さて、
小さい頃は、『思考の偏り』があるのは当たり前ですが、
成人するあたりでは、
それができる限り世の中の平均値に近付いている方が生きることがラクである、
という風に言えるのではないか、と私は考えているわけです。
(「そんなこと有り得ない!」と存在を認めようとしないことが多ければ多いほど、それは自分の世界が狭くなるということなわけで)
じゃあ、
「小さい頃」と「成人」の間で何をすべきか?
世の中、
この点が、とてつもなく曖昧というか…。
自分のありのままを話し、そして他人のありのままを聴く、そうやって影響し合う中で、
自分の中の思い込みを壊す、誤解を解く、
『思考の偏り』を少しでも世の中の平均値に近付けていく。
宮川エンカウンターグループは、
その点で、とても有益なんじゃないかと、最近思うようになったのです。
昨今の社会問題に通ずるような、そうでないような…、はて、どうでしょうね。
⑤持続可能なコミュニケーション
60回の授業を終えて見えてきた、私にとってとても重要なこと。
・その人にとって何より大切なこと
・その人にとっての不本意だが生きる上で避けては通れないテーマ
他人のこの両方を、自分のそれを扱うように大切に扱える、
私は、そんな人間で在りたいと思っています。
国と国の外交をイメージしたとき、
まず最初にやることは、
相手の歴史を知ることかな、と想像できます。
敬意と配慮は必要でしょう。
人と人が関わることも同じだと私は思います。
相手の歴史を知り、敬意と配慮を持つ。
私は、
エンカウンターグループで、
高校生と共にその実現を模索してきたんだな、
と最近思うようになりました。
コミュニケーションとはどうあるべきか?
相手を支配したりコントロールするんじゃなく、下手に出たり卑屈になるでもない、そんな対等な距離感とは、いかなるものか?
対等な関係性を築く上で、口にすべきことは何か?逆に口にすべきでないことは何か?
「話を聴く」とは、どういうことか?
「待つ」とは、どういうことか?
お互いが健康な心を維持できる関係性とは、いかなるものか?
これらのことを、私は生徒と共に模索し続けているんだな、
そしてこれからも模索し続けていくんだな、
と、最近気付いた次第です。
何と有意義なことでしょう。
⑥つまりは、
宮川エンカウンターグループとは、
・自分のことを話し、他人の話を聴く。ただそれだけの場
・自分自身のことを、偽ることなく、ありのままに表現する場
・建前ではなく、本音を言ってよい場
・頭にあることを口にすることで、軽くなる場
・心のわだかまりを吐き出すことでスッキリする場
・言えたことのないことを口にしてホッとする場
・『静かな空間』で話せる、聴ける場
・話すことで、聴くことで、新たな気付きに出会う場
・話すことで、聴くことで、自分のことがより浮き彫りになる。自分自身をより深く知っていく場
・『自分の言葉』を持ち、レベルアップできる場
・他人の話を聴くことで自分の世界を広げる場
・ありのままを受け止め合うことで、お互いに安心感が生まれ、程良い関係性が生まれる場
・持続可能なコミュニケーション方法を模索し続ける場
⑦最後に
④と⑤で書いたことなど、思いを巡らせていて、
さらに最近思っていることがあって、それは、
宮川エンカウンターグループを、
テレビの中でやってみたいな、ということ。
その際は、高校生対象でもよいだろうし、または別の世代や、いろんな世代を混じえても面白そうだ。
「昭和の風景」というテーマもやってみたい。
そこで、昭和の喜びや昭和の悲しみを共有してみたい。
それは、決して「あの頃は良かった」と言うためではない。
みんなで、過去にわだかまりを残さずきちんと別れを告げ、心機一転みんなで未来へ向かうためだ。
昭和の悲しみを、みんなで供養するというか、
みんなで「ありがとう」を言い、『失った』という視点ではなく、いろいろ得ることができて感謝という視点に立ち、わだかまりを残さず過去を整理するためだ。
スッキリと未来へ行くためには、やはり儀式が必要だと思う。卒業式だって、一種のそれだ。
最近つくづく思うこと、
私は、『バランスを取る』『足下を固める』『地面を安定させる』『大地を均す』ということに意識が向いてしまう、その点が気になって仕方ない、そんな性格だということ。
100回目を目指して、これからも淡々とエンカウンターグループを続けていきたいと思います。
心理整頓家 宮川 崇
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