最近、
16年振りに
作詞 作曲 演奏 歌 そして自分で録音
っていう趣味に没頭しています。
喜びも大きいけど
労力も大きいので、
ず~っと億劫だったんですが、
私の職場の、
とある高校生の
現在のバンド活動の内容が、
あまりに眩しく、
私の中で16年間 種火のままだった思いが
エネルギー補給され、
このGWあたりから没頭していました。
そして、
自分がアウトプットしたものが
自分を感動させる、
それが私にとってどれだけ意味のあることか、に久々に気付かされました。
自家発電ですね。
で、
今日はその話じゃないんですが、
私は、
松本清張さんの小説が好きなんですが、
ポイントがあって、
松本清張さんは、
自分の頭にあるイメージを
他人に伝える際、
そのイメージの
隅から隅までを
きちんと正確に伝えようとしている、
と、
私は
松本清張さんの小説を読んで感じるわけです。
この
『隅から隅まで正確に』が大事なんですが、
1番伝えたいことを
正確に伝えるためには、
その世界の『ルール』を、
まず説明しなければなりません。
『背景』と言ってもいいんですが。
しかも、
そこで気持ちが焦ってはなりません。
落ち着いた調子でそこを進めていく必要があります。
松本清張さんは、
そこが徹底しています。
例えば、
志村けんさんのつくる笑いの
笑えるポイントと、
松本人志さんのつくる笑いの
笑えるポイントは、
違います。
でも、
私は両方おもしろい。
といっても個人の見解ですね、それは。
しかし、
志村けんさんと松本人志さん、
お互いがお互いを尊敬されてます。
『あの人は、
こういう目的があって、
だからこういう設定をつくって、
そしてこういう結果になっている、
自分には出来ないが、
凄いし、
おもしろい。
少しうらやましくもある』
『何かを伝えたい』
その思いが強く、
そして、中身の密度が濃い、
そういう人は、
必ず、
『設定』というか、『背景』、
その世界の『ルール』
に、こだわります。
それがないと、大事なことが伝わらないからです。
人の話を聴くときというのは、
その裏返しなのです。
人が何かを主張するとき、
その主張は、
その世界の『設定』『ルール』の上に成り立っています。
そして、
その『設定』『ルール』は変わりません、
変わってはならないからです。
では、
何故、
その『設定』『ルール』でなけらばならないのか?
そこをきちんと正確に知ろうとする、
その構えが、
傾聴の軸だと思います。
志村けんさんの笑いは、
例えば、
コントひとつとっても、
静かに始まり、
普通なことがそこにあり、
何か小さな変化が起こり、
その変化が大きくなり、
気付いたら、
ドタバタにまで発展している、
という流れがあったり、
そして、
その中に、
人の『しぐさ』『振る舞い』の端々ににじみ出る人間臭さの「おかしさ」があったり。
私は、
志村けんさんの
そういう『設定』が大好きです。
では、
志村けんさんは、
何故その『設定』にこだわるのか?
そこを察していく姿勢、
それが傾聴の姿勢だと、
私は思ってて、
そして私は、
『何故、自分は、こんなにも、自分で作った曲を自分で録音してそれを聴くことで、大きく救われるのか?』
その答えを
自分の心に問い続けるのです。
自分の謎が、出来る限りたくさん解けることで、
自分は本当の意味で心がラクになるんだろうな、と思いながら、
ヘッドホンで、
何度も何度も自分の曲を聴いています。
できれば、
自分の曲を、
どこかにアップしたいが、
やり方がわからない、
そんな感じです。