まったりと芋を焼く鹿吉です。
こんばんは!
焼き芋を焼くときの匂いが本当に食欲をそそるものでございまして、空いているわけでもないのにずっとお腹が鳴ります(笑)
甘いような、ちょっぴり焦げたような香りが堪らなく、スイートポテトにする前にホフホフしながら食べてしまいたい、と毎回考えてしまいます。食べませんけども。
高温でしっかりと焼いた芋が冷めるのを待つ間、ブログを書こうかと思います。
鹿吉のスイートポテトは後で練り上げながら炊くので、一度しっかりと冷ましております。
余計な水分を飛ばし、芋本来の甘さと旨味を凝縮したあと、余計な水分が抜けたあとに味を込めていくように炊き上げるのでございます。
濃厚なめらかなスイートポテトを焼き上げる、ひとつのコツではないか、と思っております(笑)
濃厚な甘みの中に、芋本来の優しい味わいを感じることのできる焼菓子。
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是非一度ご賞味くださいませ~
さて本日は随分と前に封印した厄介な癖の話をひとつ。
ここ2回ほど、私の子供のころの話を書いておりますのでどのような子供だったか、簡単に推察できるかと存じます。
まぁ、簡単にいえば悪童、ちょっと言葉を濁せば元気いっぱいの子供らしい子、がっつり言い切るなら
癖の強い子
という評価かと存じます。
癖も強ければ我も強いタイプでございましたので、軌道修正しながら自由に委縮することなく育てようとしていた母は随分と苦労したことかと思います。それでも「これが私なんだ!」と自分自身で容認してしまい、決してその性格を変えようとはしませんでした。
「人は球体なんだよ、いい面も悪い面もあって、どこが出てくるかは環境とその人の心次第なんだよ」と教えてくださる方がおられましたが、当時の私には何が言いたいのか、まったく理解しようとすらしませんでした。
バカなんです。どこまでも愚かだったのでございます。
人はひとりで生きている気でいても、決してひとりで生きているわけではございません。
産まれたときも死ぬときも双子でない限りひとりでございますが、産まれてから死ぬまでずっとひとりはおそらくありません。
ひとりだと思っていてもどこかに誰かの存在があるものにございます。
親の庇護のもと、のうのうと生きていたくせに愚かにも私は自分ひとりで生きている気になっていたのでございます。
けれども結局は自分勝手な考えで生きれば、周囲との摩擦を生みます。確実に生まれます。
それが本当に辛くって、なぜ私はこれほどの辛さを感じなければならないのか、と自問自答するようになりました。
誰もが私のことを理解してくれない、と嘆いておりましたが、ある日、傍と気付きました。
私が誰ひとり理解しようとしてないじゃあないか、と。
以来、私は自分の気持ちを押し殺してまずは目の前の相手の気持ちを考えることから始めることにいたしました。はじめはとても苦痛でした。我儘が皮を被っているような人間でございましたから、それも当然のことかと存じます。
けれども段々と楽しくなってきたのでございます。
人は千差万別、十人十色、生きてきた過去の道も違えば、願う未来の先も違います。
当然、感じ方も違えば考え方も違います。価値観も、倫理観も、強さもなにもかも違います。一緒に生活する家族ですらその差は歴然で、他人に「私のことを理解してよ!」と押し付けたところで上手くいくはずがないのでございます。
愚かな私もようやっとその事実に思い至ることができ、それから周囲との摩擦は少しずつおさまっていくようになりました。
「理解してほしい」と願う気持ちは私だけでなく、誰しもが持つ心で、けれども自分の中に落とし込むほどに理解をするわけにもいかず、その距離感がとても難しかったのですが、今は
この人はこういう人
と割り切って、それそのものを受け入れるようになりました。
それが意識することなく出来るようになると、私の中にあった面倒なものが息を潜めるようになり、とても楽に呼吸が出来るようになりました。私の中にあった厄介な癖は数多(あまた)ございますが、そのひとつが「ああ言えばこう言う」癖でございます。
子供の浅知恵ながら、程よく回転する頭を持っておりましたので、我慢さえしなければいくらでも「ああ言えばこう言う」セリフが飛び出してくるような子供でございました。
親は如何ほどに苛立ったでしょうか。
口だけは達者だの、口先から産まれてきただの、とよく言われましたが、振り返ればバカな返しをひたすら得意げにしていたな、と恥ずかしく思います。
今も思いつかないのではなく、思いついた言葉を脳内で吟味する癖が付いておりますので、その際によくよく考えて無意味なことは口走らないように気を付けております。
言葉とは出したが最後、なかったことにはできない、恐ろしい武器にございますので…
そんな私でございますが、先日「ああ言えばこう言う」癖が久々に眠りから覚めて考えなしに飛び出す事例がございました。
我が家の愛犬チワプーちゃんはアホにございます。
言葉を理解し、賢くもあるのですが、如何せん、父が甘やかしたおかげで驚くほどの我儘ちゃんに育ってしまいました。
まず叱れないのでございます。
叱ったり怒ったりすると怒られるようなことをしたチワプーちゃんが責めて立てるように吠えまくるのでございます。しかも大音量で…近所迷惑にございます。
ですから悪いことをしたときは視線をズラすまで無表情で見つめることにしております。
絶対に負けてはいけません。私からは何があろうとも視線は外しません。
無言の攻防戦が繰り広げられ、私が勝利することによって、チワプーちゃんへの躾がなされるのでございますから。
チワプーちゃんの表現方法は唸る一択にございます。
甘えたいときは普通に寄ってきて甘えるのでわかるのでございますが、眠たいときやなにかを訴えたいときは唸るだけなのでございます。
これが意味不明で、毎回「何を求めているのか」を考えなくてはならなくなります。
幸いなことに言葉は通じますので、欲しいものやしたいことを質問しながらチワプーちゃんの訴える内容を把握するようにしております。
とにかく我が家のチワプーちゃんはアホなのでございます。
そのアホ行動のひとつに私の「ちょいちょーい」に反応するものがございます。
以前もブログに書きましたが、それはもう、ちょっとおかしくなっちゃったかしら?と懸念するほど高速回転をしながら唸るのでございます。
「チワプーちゃんに言ったんじゃあないよ?パパが悪いんだよ???チワプーちゃんはいい子だよ!」
と声を掛けるとすぐに治まるのでいいのですが、もう必ずと言っていいほど高速回転唸りを披露するのでございます。
私が「ちょいちょーい」を発するときの原因はほとんどが父のガス爆発(屁)でございます。
父が所構わずガス爆発を起こしますので、共同生活の嗜みとしてそれは如何なものか、という問題提起をする気持ちで「ちょいちょーい」と言葉にしてしまうのでございます。
そのときもやはり私の「ちょいちょーい」に反応したチワプーちゃんが高速回転唸りを横になっていた父の顔の横でやり始めました。さすがに怖かったのか、父から「ちょいちょーい」に苦情が寄せられました。
「『ちょいちょーい』、禁止な!」
「なんで?」
「チワプーがこうなるから」
「じゃあさ、ガス爆発も禁止ね、ガス爆発さえなければ言わないもの」
「いや、それは無理」
父からの即答の否定に私の厄介な癖が目覚めてしまいました。
「パパのガス、生理現象で我慢できないのよね?」
「そう」
嬉しそうに笑う父。
「じゃあ、私も無理」
「なんで?」
「だって私の『ちょいちょーい』もガス爆発音に条件反射で出るものだから、ごめんね」
見事な「ああ言えばこう言う」癖、発現いたしました~ッ!!!!
生理現象VS条件反射
どちらにも軍配は挙げられない、仕方のない話にございます(笑)
厄介だな、と思っていた癖も長じれば、それなりに有用になるものだと、自画自賛している私にございます~♪
本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
またいらしてください~♪
お待ちしております!!!